Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年07月23日

第1章 習うより慣れろ(4)―― コメの酒とコメの飯

日本のワイン史上もっとも大きな足跡を遺した先駆者のひとりに、川上善兵衛(1868―1944)がいます。越後の豪農の長男に生まれた善兵衛は、惜しみなく資金を投じてブドウの栽培と醸造を研究し、マスカット・ベーリーAやブラッククイーンなど今日に伝わる独自の交配種を生み出したものの、最後は莫大な財産を蕩尽して家族にも見放されるという、栄光と悲惨に満ちた数奇な一生を送った人物です。

彼が残した「岩の原ワイナリー」(サントリーの鳥井信治郎によって受け継がれた)は、見渡す限りの水田が続く新潟の穀倉地帯の、行き止まりにある里山の斜面にあります。「コメを主食とする日本人は、平らな土地はコメをつくるために確保し、山林を開墾してブドウを植え、滋養強壮に役立つワインを飲むべきだ」というのが善兵衛の考えだったからです。明治政府がワイン造りを奨励した理由も、日本酒の消費を減らしてコメを節約することにありました。当時は主食のコメを増産することが、国家の安定のためにも経済の成長のためにも必要な時代だったのです。

フランス人は麦でつくったパンを食べブドウで造ったワインを飲みますが、日本人は主食としてコメを食べ、その主食のコメで造った酒を飲みます。だから、コメの酒を飲むときはコメの飯を食べず、コメの飯を食べるときはコメの酒を飲まないという、食事と酒が分かれる飲食体系を生み出しました。料理屋さんで食事をすると、まず酒の肴をつまみながら酒を飲み、次から次に出される料理の皿をひと通り食べ終わったところで、仲居さんが「そろそろお食事になさいますか」と聞きに来ます。事情を知らない外国人は「なんだ、いままで食べていたのは食事じゃなかったのか」と吃驚しますが、そうなんです、それまで食べていたのはすべて「酒の菜(おかず)=肴〈魚菜)」で、それらを食べ終わった後に出てくるご飯と汁と漬物の組み合わせが「食事」なのです。

コメの飯を食べる「食事」のときは、お酒ではなくお茶を飲みます。最近はワインの出現もあってだいぶ乱れてきたようですが、おスシを食べるときも同じです。最初はお酒を飲みながら刺身や小料理をつまみますが、「そろそろ握ってもらおうか」といって肴からスシに切り替えたら、あとはお茶を飲みながらスシをつまむのが正しい作法です。スシ屋でお茶のことを「上がり」と呼ぶのは、酒を飲むのはもう終り(上がり)、これからはスシで「食事」ですよ、という意味でしょう。

ちょっと話は脱線しますが、ソバの場合はどうでしょう。ソバ屋でも、最初に一杯やります。板わさ、焼き海苔、卵焼き。ソバ味噌を焼いたのなんかもいいですね。でも、ソバはつまみがなくても酒が飲めるのです。最初からもりそばを頼んで、そのソバを肴に一杯やる……というのは、通(つう)の飲みかた、とも言われています。ソバはコメと違って主食ではないので、コメの酒と両立するわけです。

そもそも、ソバは主食の代わりではなく、とくに東京(江戸)では一種のスナックとして発達したので、ソバ屋は昼の食事どきを過ぎても休まずに営業し、夜は早く店を閉めてしまうのが慣わしでした。最近は、ソバ屋だか料理屋だかわからないような、ソバが出て来る前にえんえんと何皿も料理を出す店が増えたので、そのあたりの違いがよくわからなくなりましたが。