Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年07月30日

第1章  習うより慣れろ(6) ―― ワインはブドウの漬け物だ 

ブドウの原産地は、中央アジアの、黒海とカスピ海にはさまれた地域ではないか、といわれています。国で言えば、アルメニアからジョージア(グルジア)あたり。アララット山の麓です。このアララット山というのは、旧約聖書でいう「ノアの方舟」が漂着したところ、と伝えられていて、いまでも衛星写真で撮影すると山の中に方舟の残骸が見える、と主張する学者もいるようです。ノアは大洪水の際に、他のさまざまな動植物とともにブドウの樹を持って方舟に乗ったわけですから、漂着した地に植えられた1本の樹から後世のすべてのブドウの樹が生まれた……という物語は、妙に原産地説と呼応するものがありますね。

伝説や神話はともかく、ヨーロッパでは中央アジアがブドウの原産地で、そこから洋の東西に伝わりました。これが「ヴィティス・ヴィニフェラ(ワインのためのブドウ)」といわれる品種で、地中海を中心に、このブドウはヨーロッパではほぼすべてがワインをつくるために使われます。同じブドウは東にも伝播しましたが、中国大陸ではワイン文化は発達せず、シルクロードを経て日本に伝わったとされる「甲州」や「善光寺(竜眼)」といったこの品種の仲間たちも、長いあいだ生食用としてしか利用されてきませんでした。

古代には、世界中にもっとたくさんのブドウ品種があったのですが、氷河期の寒さで息絶えてしまい、ヨーロッパでは「ヴィティス・ヴィニフェラ」だけが生き残ったのです。アジアやアメリカでは、1種類だけではなく、いくつかの系統の異なるブドウ品種や何種類かの野生ブドウが生き残り、いまに伝えられています。日本のヤマブドウも、そのひとつです。

いまから30年ほど前のことですが、日本に伝わったヴィニフェラ種である「甲州」と「善光寺」のルーツを探るために、まだソビエト連邦の支配下にあったグルジアとアルメニアを訪ねたことがあります。チェルノブイリの原発事故が起こる2年半前のことでした。このあたりはいまでもブドウの大産地で、ワインもつくっていましたが、もっとも印象に残っているのは、グルジアのカへチア地方で農家を訪ねたときのことです。

カヘチアの農家は、ブドウの樹で軒先に日除けをつくり、ブドウの枝を暖炉で燃やし、台所でワインを造って飲んでいました。土を固めた台所の床に素焼きの大きな甕を埋め込み、収穫したブドウを放り込んで、上から棒かなにかで潰して発酵させるのです。秋から春まではそんな手造りワインを飲んで暮らし、酸化が進んで飲めなくなるころにはほぼ全部を飲み尽くしている。

春になれば、そして夏が来れば、野菜や果物はいっぱい採れます。秋の終わりにワインを仕込むのは、野菜や果物がない冬のあいだ健康を保って暮らせるよう、ブドウを発酵させて保存しておくためなのです。私が訪ねたのは秋の終わりですが、農家の台所には野菜や果物を酢漬けにした瓶がずらりと並んでいました。冬のあいだの保存食です。私は、そうか、ワインはブドウの漬け物なのだ、と納得しました。

ブドウは、果実の中でも飛びぬけて糖度が高いので、発酵させてお酒にするのがもっとも確実で簡単な保存法です。中央アジアやヨーロッパの冬は厳しく、野菜も果物もできませんから、からだをアルカリ性に保つにはワインが必要でした。昔から、お祭りのときにだけ飲む贅沢な日本のコメの酒と違って、ワインは日常の食卓に欠かせない「食事の一部」として飲まれてきたのです。