Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年08月11日

第1章 習うより慣れろ(9) ―― ふたつのワイン

放っておいてもブドウが育つような気候……ブドウの原産地は中央アジアですが、地中海をめぐる一帯は、原産地よりもブドウの生育に適しています。このような場所を原産地に対して「第2次センター」と呼び、植物はこの「第2次センター」を中心にして、さらに広範な地域へと伝播していきます。

ワインがヨーロッパ全体に広まったのは、キリスト教の力によるものです。ワインはキリストの血である、とされたため、ローマ帝国が版図を広げると同時にブドウ栽培も北方へと伝わり、一時はいまのベルギーやオランダあたりでも、修道院でさかんにブドウが栽培されワインがつくられました。が、19世紀に至って鉄道が南フランスと首都パリを結ぶようになると、南方の「放っておいてもブドウが育つような」地域からの安いワインが大量に流入して、北のほうの畑にあるブドウの樹はみんな引き抜かれてしまいました。

その過程で残ったのが、ボルドーと、ブルゴーニュと、シャンパーニュという、気候的にはブドウ栽培の北限に近い地域のワインでした。それぞれの不利な自然条件を努力とアイデアで克服して、立地的に有利な大消費地への販路をたしかなものとし、政治的にもあらゆる手を使い、不動の高級ブランドとしての地位を確立していくのです。

その結果、ワインの世界では、ふつうの人には縁のない、フランス人の大多数にも縁のない、金持ちと好事家だけが買い求める「高級ブランド」と、「放っておいてもブドウが育つような」地域で生産される日常的な「地ワイン」という、たがいに接触することのない二つのグループに分かれることになりました。もちろんこれはやや乱暴な言い方ですが、私がいまこの連載コラムで話をしている「日常の食卓に欠かせない食事の一部として飲まれるワイン」は、1本何万円もするような高級ワインとは「まったく別のもの」と考えてほしいのです。

ワインは難しいとか、勉強しなければわからないとか、ワインはお洒落だから自分には縁がないとか、いろいろな理由をつけてワインを遠ざけようとする人がいます。それも、日本人の多くは、ワインというと「高級ワイン」のことしか頭に浮かばないからではないでしょうか。

私たちは、まず、「放っておいてもブドウが育つような地域」で飲まれてきた「食事の一部としての日常ワイン」から、ワインに対するアプローチを開始したいと思います。

それから、次の段階として、いま起こっている「本場」のフランスでのワインの飲みかたの変化や、フランスやイタリアなどのワイン先進国でワインの消費量やワインぶどうの栽培面積がどんどん減ってきている事情と、それに反比例するように世界の各国で急速に増えているワインの生産と消費について思いを馳せながら、それでは日本人の私たちはこれからどんなふうにワインと付き合えばよいのか、世界ではワインの飲み方がどんなふうに変わっていくのかなど、いっしょにワインを飲みながら、ゆっくり考えていきたいと思います。