Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年08月20日

第2章 食卓の上の光景(3)――― 幸せな仕事 

一時、魚の顔(?)を絵に描くのに凝っていたことがあります。講演などの仕事で海に近い町に行ったときは、予定を一日延ばして港の民宿に泊まり、朝いちばんで市場に行って揚がってくる魚を分けてもらう。それを港のどこかで写生するか、宿に持ち帰って部屋で描かせてもらうのですが、この段取りを一人でやるのは結構面倒で、それに講演で海の近くに行くこともそう頻繁にはなく、なかなか作品が溜まりません。

そんなことをやっていたときに、2005年に集英社から『UOMO』という男性ファッション誌が刊行されることになりました。私は、これは絶好のタイミングだ、と思って企画を売り込みました。もちろん魚の絵と男性ファッションは何の関係もないのですが、「ウオモ」だから「魚も」いいだろう、といって、古くから親しくしている編集者に強引に頼み込んだのです。こうして、「絵魚紀行」という1年間の連載がはじまりました。

海辺の町に2泊3日で旅行して、1回に連載2回分の絵を描く。絵を描く時間は2時間と決め、描き終わったら料理してもらって食べる、というルールで、長崎のタイとヒラメ、広島のオコゼとメバル、青森のイカとホタテなど、伊豆のイセエビと能登のズワイガニだけは3時間かかりましたが、ほかの魚はすべて2時間以内で描きました。描いているうちにどんどん鮮度が落ちてくるのでおのずと筆が早くなり、連載のあいだに私の絵を描くスピードは明らかに上がりました。

国内の連載が終了後、最後に海外取材をやろうということになり、南フランスとギリシャへ、地中海の「絵魚紀行」に出かけました。これが最高に贅沢でおいしい旅行でしたね。朝早くホテルを出て、港にある魚市場へ行き、きょう描く魚を選びます。それを近くのレストランに持ち込んで、開店前のテラス席を借りて絵を描くのです。みんな珍しがって見に来ますが、とにかく2時間集中して描き上げる。描き終わると、そろそろお昼に近い時間です。

絵をしまい、道具を片付けているあいだに、テラス席のテーブルにはクロスが敷かれて、食卓の用意がととのいます。もちろん最初に運ばれてくるのは、クーラーの中でギンギンに冷えた白ワイン。南フランスならブイヤベースの本場カシCASSIS の白。ギリシャでは、昔ながらの松ヤニの匂いがするレッツィーナが好みです。が、とにかくよく冷えた辛口の白ならなんでもいい。

まず1杯、2杯、乾いた喉をうるおします。それから、オリーブをつまみながら3杯目。そうしているうちに、注文した最初の皿がやってきます。最初の皿は「魚介類の唐揚げ」に決まっています。小魚、小海老、タコにイカ……店によって魚介はさまざまですが、オリーブオイルで軽やかに揚げられた「フリット・ミスト」(いろいろな魚介類の唐揚げ)は、よく冷えた白ワインには最高に合う一皿です。絵に描いた魚は、メインディッシュとして、炭火で焼いたのをレモンとオリーブオイルをかけて食べるか、白ワインで蒸して何かのソースを添えるか、料理法はシンプルですが、どれも問題なくうまい料理でした。

時は5月の後半、暑くもなく寒くもない、乾いた空気がさわやかな初夏の気候。地中海の太陽があたり一面に無数の光の粒を振り撒いています。その中で、午前中の正味2時間で一日の仕事を終え、あとはワインを飲んで飯を食って……もし、こんなふうにしながら絵を描いて一生を暮らせたら、もう何も望むことはない、とさえ、あのときは思いました。