Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年09月05日

第2章 食卓の上の光景(6)――― ボージョレ・ヌーボー

いまから47年前、私がはじめてパリの土を踏み、ダンフェール・ロシュローのライオン広場で酔っ払って一晩を過ごしてから、2ヶ月と少し過ぎた頃のことでした。いつものように、カルチエ・ラタンからサンジェルマン・デ・プレあたりの界隈をほっつき歩いてカフェと本屋をはしごしていたら、裏通りの一角で声をかけられました。振り返ると、民族衣装を着た女の子が立っています。

その裏通りの少し先には小さな広場があり、そこには数人の男女がいてワインの樽を囲んでいます。女の子たちは、樽からコップに注いだワインを道行く人に配っていたのです。「ボージョレ・ヌーボー・エ・タリヴェ!」(ボージョレ・ヌーボーが届いたよ!)口々にそう言いながら。もう少し大きな通りでやればいいのに、と思いましたが、オデオン交差点に近いその小さな広場は、真ん中に大きな樹があってなんとなく田舎の雰囲気が似合っていました。

白い紙コップに注がれたワインは、濃い紫色の、不透明なジュースのようでした。飲むと、まだワインになりきっていないような、若い味がしました。飲んだあと、コップの内側に跡が残るような、そんな紫色が印象的なワインです。ボージョレ地方ではこんなふうにして秋の新酒を祝うのか。パリの人たちにこれを売るために、遠くからみんなでプロモーションに来ているのだということがわかりました。

収穫したブドウが、発酵してワインになるまでは、ふつうは数ヶ月くらいかかるものです。もちろん発酵途中のワインをドブロクのように飲むこともできますが、いまのボージョレ・ヌーボーは、技術的に進歩したため、収穫からの期間が短くてもきちんと仕上がったきれいなワインになっています。きっと47年前はそこまで行かなかったので、搾りたてのような野性味を残したままパリまで運ばれてきたのだと思います。

ブルゴーニュ地方では、赤ワインはピノ・ノワールからつくるもの、と決まっています。その昔、王様がもっともよい品種を選んてそう決めたとか。そのためブルゴーニュの最南端にあたるボージョレ地域で栽培されていたガメーという品種は、2級品とされてきました。そこでボージョレの人びとは、そのままふつうのワインにしても高く売れないので、それならフランスでいちばん早く飲めるワインをつくって、新しい(ヌーボー)ことを売り物にしよう、と考えたのでしょう。もとはその年のワインの出来を占うためにつくられる試飲用だったともいわれますが、この企画は見事に大当たりしましたね。

11月の第3木曜日とされる解禁の日が来ると、パリ中のカフェやビストロやレストランの壁や扉には、“BEAUJOLAIS NOUVEAU EST ARRIVÉ” 「ボージョレ・ヌーボー・エ・タリヴェ!」という貼り紙があちこちに貼られます。パリの人はそれを見ると、そうか、今年も無事に新酒ができたか。それならこの冬も安泰だ、と思うのです。

11月の中旬というと、狩猟シーズンのはじまりでもあります。市場の屋台の軒先に野鴨や野ウサギが吊るされ、レストランのメニューには、シカやイノシシなどのジビエ料理が並びます。ジビエ(狩猟で獲る野生鳥獣肉)という言葉も日本人にお馴染みになりましたが、フランス人がジビエに寄せる思いには並々ならぬものがあります。11月の末といえば、日が落ちるのがどんどん早くなり、寒くて厳しい冬がもうすぐそこに来ています。また、あの長い冬を過ごすのか……と暗くなっているフランス人にとって、でも冬のあいだ飲んで長い夜を過ごすことのできるワインが、今年もまた無事にできたようだ。今年も山には木の実が生って動物がいるから、ジビエの肉を食べてからだを温めることができそうだ……と思う安堵感には、かけがえのないものがあるのです。