Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年09月07日

第2章 食卓の上の光景(7)――― アン・プチ・ルージュ 

学生のとき、最初に住んだパリ市内の部屋は、高級アパルトマンの最上階にある屋根裏部屋でした。留学生の登録をしてから半年間はパリ郊外にある学生寮に住んでいたのですが、暮らしにも慣れ、フランス語もそこそこわかるようになると、自由な一人暮らしをしたくなって、都心に部屋を探したのです。

パリの街には、ほぼ同じ高さの石造りの建物が並んでいますが、1階にカフェや商店が入っている建物も、多くの場合、その上階はアパルトマンと呼ばれる集合住宅になっています。フランス語の「アパルトマン」は英語の「アパートメント(ハウス)」ですが、日本語ではマンションと訳すほうがわかりやすいでしょう。都心に近い高級住宅街では、ワンフロアが2つのユニットに分かれており、真ん中にエレベーターと、そのエレベーターを囲むように階段があります(昔のらせん階段の吹き抜けに後からエレベーターを設置したのでしょう)。

エレベーターを降りたところが階段の踊り場で、左右にそれぞれのユニット(数部屋からなる居住空間)の玄関があります。プライバシーのため表札を出していない家がほとんどなので、人に教えるときは、何番地の建物の、何階の右、とか左、とか言うのですが、ベルを押すときは間違えていないかどうかいつも心配になります。中に入ると、広々とした部屋がいくつもあり、まさに優雅なパリ暮らしです。私の屋根裏部屋の大家さんは、大学教授の夫妻でした。

屋根裏部屋へは、建物の正面入口から入ったところにあるメインの階段(エレベーター)からは行けません。同じ建物の、正面入口からだいぶ離れた端のところにもうひとつ、小さな勝手口のドアがあって、そこから狭くて急ならせん階段を上らないと行けないのです。そのらせん階段の踊り場は、各階のユニットの、台所のドアの前。つまり、勝手口の階段は使用人が使う階段で、そのまま上ったところに使用人が住む屋根裏部屋がある……という構造になっているのです。

昔は使用人を雇っていたブルジョワ階級も、いまは通いのお手伝いさんくらいしか使っていないので、使用人のための部屋を学生や外国人労働者に貸している、というわけです。7階建て(日本やアメリカの数え方では8階)の建物の最上部にある、屋根の一部が斜めになった屋根裏部屋は、たしかに雰囲気があるといえばありますが、共同のキッチンと手洗い場がついた長い周り廊下に面して小さな部屋のドアが並ぶ、すぐ下の大家さんたちの世界とは隔絶した空間でした。

勝手口の狭くて急ならせん階段は、いったん上ると下りるのが嫌になり、いったん下りると上るのが嫌になります。上るときは途中まで全速力で駆け上がり、まだ3階だ、まだ4階だ、と少なめに思い込みながら、6階だと思ったところで8階にたどり着いていることがわかるとホッとする……そんなふうにでもしない限りは上れないシロモノでした。だから、街で用事を終えて帰ってくると、階段を上る前に、隣の建物にある小さなカフェに入り、赤ワインを一杯飲んで、勢いをつけることにしていました。「アン・プチ・ルージュ(小さなグラスの赤ワインを一杯)」と注文すると出てくる、いちばん安いワインです。

そんな習慣がついてから、2週間くらい過ぎた頃でしょうか、いつものように夕方そのカフェに入ると、もう顔馴染みになったギャルソンが、私がなにもいわないうちに、「ムッシュウ、いつものやつですね」といいながら、私の前にアン・プチ・ルージュを置いてくれました。いまでも覚えているあの瞬間、私は、これで自分もパリジャンになったかな、と思ったものです。