Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年09月21日

第3章 ワインづくりは農家の仕事 ―― (2) 自分のワインをつくる         

雑誌の記者などから、「玉村さんにとってワインとは何ですか?」と聞かれると、「ワインは毎日飲むものです」と答えることにしています。もっと洒落た答を期待しているんだろうなあと思いながら、でも、……とは何ですか、という質問がそもそもくだらない質問だし、ほかに答えようもないので仕方ありません。

ですから、フランスから帰国した後は、東京じゅうを駆け回っていちばん安いワインを探し、ほぼ毎日飲んでいました。大学を卒業してからは、就職もせず、通訳や翻訳、旅行ガイドなどで食いつなぐフリーター生活を送っており、仕事もそれほどなくてヒマだったので、毎日自分で料理をつくり、ワインを飲みながら食べていました。つくる料理は物真似のフランス料理、それに、世界各国で食べ歩いてきたエスニック料理です。結婚してからも食事のしたくは私の仕事で、その習慣はいまでも変わりません。

いまから40年くらい前のことで、当時は、東京でもワインを売っている店はそれほど多くありませんでした。あちこち探して、いちばん安かったのが「ポール・マッソン」というカリフォルニアワインです。バーガンディとかシャブリとか、勝手にフランスの地名を冠した、いまでは許されない表示で売っていましたが、それぞれの品種のチップで香りをつけたもので、それなりに雰囲気のあるワインでした。六本木の明治屋で、800円くらいでした。日本のワインではサドヤのシャトーブリアンが3000円。どちらも今とたいして変わらない値段で、当時の貨幣価値や若者の収入から考えると、ワインはとんでもなく高い飲みものでした。

軽井沢からいまのところに引っ越したのも、ワインをつくるために土地を探した、というわけではないのです。ただ、最初にその風景を見たときにワイン畑を思い浮かべたのは、やはり若い頃から毎日のように飲み続けてきた経験があったからだと思います。

それまでは自分が農業をやるなど想像もしていなかったので、ワインはただ買って飲むものでしたが、畑があるならブドウを植えたらどうだろう、と、そのとき思ったのです。そうすれば、自分の土地のワインが飲めるじゃないか。ワインはその土地でつくるもの。見たことのない土地でできたワインばかり飲んでいても意味がない。とはいっても、自分でワインまでつくろうとは考えませんでした。近くにマンズワインの小諸工場があるので、そこでワインにしてもらう。そのワインを、自分のブドウ畑を見ながら飲めれば、それ以上望むものはないでしょう。

私はフランス人のように毎日飲む日常のワインが欲しかったので、標高850メートルの冷涼地でも育つ赤ワイン品種として、500本のうち3分の2をメルローにしました。残りは全部シャルドネにしようと思ったのですが、植え付けを指導してくれたマンズワインの技師に、どうしてもピノ・ノワールを植えてほしいといわれ、3列だけピノを植えました。全部でちょうど26列になったので、アルファベットと数字ですべての樹に名前をつけ、観察日記を書きながら育てました。

自分で栽培したブドウを、どこかのワイナリーに預けてワインにしてもらう、いわゆる「委託醸造」にかかる費用は、1本当たり、だいたい1500円前後と考えてよいでしょう。この値段は、今も昔もあまり変わりません。私もマンズワインからそのくらいの値段で自分のワインを買い戻していました。でも、それに自分の労賃や、そのために買った資材や農業機械などの経費を加えたら……1本あたりの値段は、その倍以上になっていたはずです。