Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年10月12日

第3章 ワインづくりは農家の仕事 ――(6)ヴィニュロンの哀しみ

同じワイナリーオーナーといっても、人を雇ってワインをつくらせているオーナーと、自分自身でブドウやワインをつくっているオーナーとでは、天と地ほどの差があります。それも、栽培と醸造の技師だけでなく、経営者も雇って全部まかせて自分は悠々としているのが、いちばん羨ましいオーナーかもしれません。大金持ちのオーナーの中にも、栽培と醸造は人にまかせるが経営は自分でやる、という人もいて、有名な醸造コンサルタントを高給で雇い、その分だけ高い値をつけて利益を上げよう、と考える企業家オーナーもいるようです。

一方、どうしても自分でワインをつくりたくて、ブドウの栽培から独力ではじめる、という人もいます。いま「千曲川ワインバレー」に集まってきている新規就農者たちはほぼ例外なくそういう人たちですが、彼らは、他人に雇われるのは嫌なので、どんなに苦労してでも資金を工面して自分でワイナリーを建てたいと思っています。もちろんそれは大変な道のりですが、それでも頑張って夢を実現すれば、彼も立派なワイナリーオーナーです。ただし、オーナーになってもあるのは借金ばかり。金持ちオーナーの対極にある、貧乏オーナーといっていいでしょう。

ブドウを栽培する農家のことを、フランス語では「ヴィニュロン」といいます。自分でブドウの世話をするワイナリーオーナーは、オーナーであると同時にヴィニュロンであるわけですが、フランスでヴィニュロンといえば、もともとは本当に貧しい農民のことをいう言葉でした。

おいらはしがないヴィニュロンさ/こんな商売やりたくねえ/天気がよくても悪くても/毎日畑に出にゃならぬ/雨でも風でも関係ねえ

穴掘り仕事に枝伐り仕事/古くてちびた鉈鎌で/おいらの指は傷だらけ/鋳直ししても無駄骨さ/ちっとも切れ味よくならぬ

フランス東部、スイスとの国境に近いジュラ地方のとある村に伝わる、17世紀から18世紀頃のヴィニュロンの労働歌です。その頃のブドウ農家も育てたブドウでワインをつくりましたが、それは売って収入を得るためのもので、自分たちで飲むことなど考えられもしない贅沢でした。彼らが飲むことができたのは、ワインを搾った後の搾り滓からつくる「滓取りワイン」です。搾り滓に水をかけて放っておくと、野生酵母の働きで発酵がはじまります。ヴィニュロンたちはそれを搾って「滓っ子(ブエット)」と呼ばれる、辛うじてワインの香りはするが薄くて舌を刺すような飲み物をつくって飲んでいました。

19世紀に入ると、ビーツ(甜菜)から砂糖をつくる技術が開発され、それまで南方の国々でしかできなかった砂糖がヨーロッパでもできるようになって、砂糖の値段が一気に安くなりました。その頃からヴィニュロンもこれを買って滓取りワインをつくるようになり、その分だけ味の濃くなった、少しはワインに近いものが飲めるようになったといいます。

仕事が終わって家帰りゃ/バケツ一杯水を飲む/棚の上にはきのうのスープ/皮むきジャガイモ水煮のインゲン/パンといっしょに腹詰め込んで/明日が来るのを待つだけさ

同じ貧しい生活でも、他人に働かされて毎日を送るより、小さくても一国一城の主でいられる現代のヴィニュロン・オーナーのほうが、充実感に満ちていることは間違いありません。

註:労働歌の原詞は右記より引用しました。Claude Royer “Les Vignerons” Berger-Levrault, 1980