Column[ 読みもの ]

『玉さんの信州ワインバレー構想レポート』(KURA連載)

2016年03月22日

玉さんの信州ワインバレー構想レポート 21

< 信濃にやか「長野県をワイン王国にするためにお知恵拝借」 その②>

 

玉村 県は、新年度から「日本酒ワイン振興室」という部署をつくるそうです。ワインも日本酒も、クラフトビールやハードサイダーも合わせてということになると思いますけれども、県産酒の振興を一元的に指揮する司令塔ができることになった。
山崎 日本酒といっしょに?
玉村 いま、日本酒は、原料の産地が問われたり、品種による味の違いが語られたり、しだいに「ワインの文法」に沿って動くようになっています。フランスにはコースの料理に合わせてワインと日本酒の両方をサービスする店があるくらいですから、とくに輸出を考えた場合は、むしろいっしょにプロモーションするほうがよい時代になったといえます。
市村 たしかに、小規模ワイナリーのような家族経営の酒蔵が多くなりました。女性杜氏が増えたのもそのためです。
柳沢 そう、女性の杜氏さんがいる蔵が話題になっていますね。
市村 私は、そういうところがワインのように原料から栽培する、というのはいいと思うけど、みんながそうなるのではなくて、プロが栽培した最高の酒米を、専門の杜氏の優れた技術でつねに変わらぬ品質の酒に仕立てるという、何百年も続いた日本酒の伝統も残していきたいと思いますね。
玉村 市村さんのところは、いまでも通いの杜氏さんはいらっしゃいますか?
市村 まだ泊まり杜氏は来ているんですが……減りましたね。昔はみんな通ってきたものですが。
玉村 もともと酒蔵というのは、産地から酒米を取り寄せ、杜氏を呼んでそこで酒を造らせる、いわばプロデューサーのような役割だった。それがいまは、醸造技術者を自社で養成する、あるいは社員として雇用する時代になったわけですね。
市村 蔵元は、実際にはプロデューサーでもないんですよ。長野県でいえば諏訪、小谷、飯山。新潟県なら越後杜氏といった集団があって、それぞれ長老のような人が仕切っている。誰をどこの蔵に送り込むか、次は誰を昇進させるか……
玉村 会社の人事みたいに。
市村 管理しているのは杜氏集団の長老で、酒蔵の親父はその指示に従うだけなんです。だから、馬鹿でもできるというか(笑)……そのシステムがほぼ崩れてきましたので、それに代わる新たなシステムをつくらなければいけないんですよ。
玉村 杜氏が社員になると、冬だけ働けばいいというわけにはいかなくなりますね。
市村 そうなんです。昔は、夏は地元に帰って農作業をやったけど。
玉村 冬が終ったら、杜氏のみなさんには秋までワイナリーで働いてもらいたい(笑)。
市村 うちが栗菓子をはじめたのはそのためでもあるんですよ。
玉村 杜氏集団の代わりに、ワイナリーと酒蔵が組んで人事のローテーションを管理するのもいいですね。

加瀬 最近飲んだ日本酒で、凄く軽いのにおいしいお酒があった。杜氏は若い人で、なるべく軽やかな、ワインのようなお酒をつくろうとしているようでしたね。
玉村 これまで日本酒は、食前酒としては弱過ぎ、食中酒には強過ぎて中途半端だ、といわれてきたのですが、最近はアルコール度数が低くてもおいしい日本酒ができる酵母が開発されて、ワインに近いものも多くなりました。また、ワインの世界でも、強いパワフルなワインより、デリケートな優しいワインのほうが好まれるようになっている。和食が人気なのも、微妙な味や香りを聞き分けるのがトレンドになってきたことと関係がありますね。
加瀬 このあいだ外国の友人から、和食に合うワインはあるかって聞かれたんだけど。
山崎 甲州ワインとか?
玉村 いや、フランスの品種でも、日本でブドウを育ててワインにすれば、かならず日本的な味になる。どこか優しい、たおやかな味ですね。だから、日本のワインは和食に合うと、世界的にいわれています。
柳沢 同じ風土から生まれたものだから……。
玉村 その土地の食材や料理とは、当然合うわけですよね。
市村 歴史的に見ても、国民の所得が低い時代は強い酒が飲まれ、先進国になると弱い酒が好まれる。
玉村 産業革命時代に英国の労働者が溺れたジンとか、フランスのアプサンとか。
市村 昔の日本酒もそれに近いものがありましたね。
玉村 貧乏と、それに、戦争があると酒がよく売れる。
市村 戦争は、酒と……麻薬ね。
山崎 それだけ、正常な神経では戦争はできないということか。
市村 そういう時代には来てほしくないですね。

加瀬 ワインは新しく参入する人がいるけど、日本酒は増えないの?
玉村 日本酒の蔵元は、減ることはあっても増えることはない。
柳沢 新しく免許は取れない?
市村 古い休眠中の蔵がいっぱいありますからね。でも、そういうところに若い人が入ればいいんです。本気でやれば5年で見違えるようになりますよ。
加瀬 若い人が呼び込めると面白いよね。
山崎 イメージを変えるという話だけど、昔は、酒は一升瓶で、お燗をつけて、というのが常識だった。いまは四合瓶(720ミリリットル)を冷たいまま食卓に置く。変わったきっかけは何だったんですか。
市村 吟醸酒が出てから……でしょうね。それに、奥さんがお燗してくれなくなった(笑)。
柳沢 ヤカンを使わなくなった。
山崎 電子レンジだと、なかなかうまくいかない。
市村 調べたら、一升瓶がいまのかたちになったのは、日露戦争のときからだった。
柳沢 昔は、陶器の通い瓶とかあったんでしょ。
市村 一升瓶もあったけど、形はさまざまだった。それが戦争を機に統一されたんです。国民服と同じ。でも同じ国家社会主義でも、ドイツは軍服もカッコイイ。デザインセンスは重要ですよ。
玉村 これからは、かっこよさで競わないと。平和な時代の競争は、まず多様なデザインから。
加瀬 そういえば、ワイングラスというのは、あれは究極のデザインなんですか。
玉村 フランスがつくったワイン文化においては、ある意味で究極なのかもしれないけど、いまは世界中でワインをつくり、飲みはじめた時代なので、それぞれの文化に応じて少しずつワインの飲みかたも変わっていくと思うんです。それに従って、グラスの形もさまざまに変化するかもしれない。
加瀬 このあいだ、知り合いのガラス屋さんで、掻き氷用の低いガラス器を買ったのね。それで、思いついて白ワインを入れて飲んでみたら、これがおいしかったんですよ。こういうのもアリかなと。
山崎 ヨーロッパだって、コップでワイン飲んだりするじゃない。
玉村 日常に飲むワインはね。日本はその点、まだワインに関しては全部よそ行きになっている。
柳沢 上が開いたシャンパングラスも懐かしいわ。
市村 最近、見なくなりましたね。
玉村 先のすぼんだフルート型に統一されてきたから。
加瀬 それでいうとね、ナガノワインを飲むためのグラス、っていうのがあってもいいんじゃないか。これがそれですって、デザインを決めて、ナガノワインは必ずそれで飲む、ということにして、10年も続ければ凄いことになっているかもしれない。
そんなふうに、いくつもの物語を重層的に組み合わせていくことが重要なんだと思いますよ。
玉村 みなさんありがとうございました。それでは、とりあえず統一デザインのワイングラスで、乾杯!

21 左上21 上真ん中21右上

21 下段