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ビジネスサロン報告

2015年07月08日

ビジネスサロン第1回、第2回

開催されたビジネスサロンの内容をご紹介いたします。
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長谷川正之(長野県農政部マーケティング室企画幹)
シルクからワインへ 長野県次世代産業の展望
「おいしい信州ふーど(風土)」と「千曲川ワインバレー構想」

第1回(6月1日)
「シルクからワイン」というテーマ設定について

<テーマ設定>
・TPPや地域消滅論の中、地域資源をどう活かすかが重要な課題
・長野県の明治~昭和初期の蚕糸業全国1位と、現在のワイン用ぶどう生産量全国1位との関係を歴史的に認識し、今後のワイン産業を考えることは大変重要

<シルクとワインは明治とともにスタートした>
・出発は殖産興業による積極策(米欧回覧実記)・大久保利通と黒 田清隆
・三田育種場

歩みが違ったその後: 一気に輸出産業化した蚕糸業と日本化したワイン産業

<蚕糸業の変遷>
・欧州の微粒子病(カイコノウジバエ)の蔓延と日本の生糸の需要増、輸出産業へ
・昭和恐慌による大打撃

<ブドウ栽培とワイン醸造>
・欧州のフィロキセラ(葡萄根アブラムシ) ・ヴィニフェラ種とラブルスカ種
・人口甘味ぶどう酒の大成功(鳥井信次郎)・本格ワインが挫折した理由

<戦争とシルクとワイン>
・シルクのパラシュート
・ワインと潜水艦(ぶどうの酒石酸による潜水艦のレーダー探知機)

<蚕糸業の衰退と新用途開発、ワイン産業の勃興>
・蚕糸業から不動産・医薬関連事業へ:片倉工業㈱の多角化展開 ・戦後何度かのワインブーム ・食スタイルの多様化と欧州系ブドウ品種の栽培

第2回(6月22日) 長野県だからいえる「シルクからワイン」というストーリー 

<長野県の蚕糸業はなぜ日本一になったのか>
・長野県が生糸生産量全国1位
・器械製糸の技術導入
・製糸結社作り規格化し世界基準
・国際企業としての製糸業、養蚕農家は米国株価を見て行動
・製糸金融(63銀行と19銀行)のバックアップ

<蚕糸業が教育県を築く:顕微鏡と進化論>
・欧州で微粒子病、パスツール発見(ファーブルも関係)
・実業学校等開校(顕微鏡は全国の半数)

<県内のワイン産業との関わり、林五一が語る産地化の一番の要因とは>
・大手甘味ぶどう酒の原料ぶどう産地・桔梗ヶ原
・林五一の語る産地化の一番の要因は為替政策

<ワイン用ぶどうの栽培増加と信州ワインバレー構想>
・温暖化と欧州種栽培へのトライ
・信州産が国内ワインコンクール等で高評価
・信州のワイナリーを点から線、そして面的展開へ
・耕作放棄地の旧桑山が宝の山に

<「おいしい信州ふーど(風土)」&ワインへの展開 >
・昭和恐慌により蚕糸から果樹へ転換
・そして園芸王国(果樹・野菜・きのこ)長野県の確立
・長野県の食べ物を統一ブランド「おいしい信州ふーど(風土)」として発信、食中酒であるワインとのマリアージュで付加価値創出へ
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福田育弘(早稲田大学 教育・総合科学学術院 教育学部 複合文化学科 教授)
日本のワイン受容と新しい飲食文化 ―― 日本ワインの可能性

第1回(6月1日) フランスだけがワインの適地か

<フランスだけがワインの適地なのか>
フランスの有名ワイン産地はよいワインを生む土地といわれるが、フランスのテロワールは本当に天から美味しいワインを生む条件をあたえられているのだろうか?

<フランス各地でワイン造りが復興している>
雨が多く日照の少ない、ワイン造りにもっとも不適な条件をもつノルマンディー地方などの事例

かつて多くの地方でワイン用ぶどう栽培とワイン生産が放棄されたのは何故か?
厳しい気候条件、近代的流通手段の普及、フィロキセラ(復興する財力がなかった)
下層階級の日常のがぶ飲み系ワインの生産(19世紀成人のワイン消費量は毎日1リットル))

<では、いまなぜ復活しているのか>
共通点:悪い気候条件での再興、自分の土地でワインを作りたいという情熱、観光資源の可能性
厳しい気候条件でも、土地に即した人間の努力次第でブドウ栽培とワイン生産は可能である。

<かつてはフランス全土でブドウ栽培とワイン造りがおこなわれていた>
歴史的にもかねてより悪条件下での質のよいワイン造りがあった。ワイン造りは国・地方の名誉にかかわる。キリスト教におけるキリストの血、ミサには欠かせないという宗教的意味 → 古代後期から各地で自前のワイン用ぶどう栽培

<フランスのワイン地図から読みとれる「北の逆説」>
ワインの三大産地:ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュ
「三大」の意味は、量ではなく質。気候条件的にみて、みなぶどう栽培の適地ではない。
ここから土壌中心の「テロワール」神話が生じたが、実は、厳しい自然条件でワインを作る人間の側の意志とそれに見合った努力こそがその要因だった。
ボルドーもブルゴーニュでも、絶えざる土地改良がおこなわれた。オ・ブリオンは17世紀後半、いち早く湿地であるメドックに排水設備を設置した。
所有者の法服貴族ポンタック家には、多額の費用を賄うだけの財力があった。
ブルゴーニュでは、畑を掘ると古い土管が見つかることが。

<ブドウ畑は人間の創造物である>
「土地の完璧な整備、品種の適切な選択、ぶどうへの行き届いた手入れおよび収穫の際の細心の注意、それらが選ばれた土地を国境を越えてまで知られるワイン産地とするのである。」(歴史地理学者ロジェ・ディオン『フランスワイン文化史全書』より)

第2回(6月22日) フランスでワインが美味しくなる条件

<よいワイン産地はなぜ川沿いにあるのか>
19世紀の通説(当時の科学者たちの解釈)
「川の反射で光がぶどう畑に降り注ぐ」、「川の水が蒸発してその冷気がぶどうに気品を与えるが、実は川とは航行可能な川のこと。消費地への流通の重要性。重い樽での輸送はコストがかかる。川は重要な輸送手段だった。そのために、川の近くでブドウを栽培する試みがおこなわれた。

<では川のないブルゴーニュでなぜ美味しいワインができるのか>  ブドウ畑創設時の地政学的状況は、川(ソーヌ川)の近くのシャロンのほうが、簡単に河川交通を使ってワインをさばけるから有利だった。が、ブルゴーニュのオタンでは、まず寒さに耐えられる品種を開発し、3世紀にオタンから馬で一日で行ける距離(約80キロ)のコート・ドールにぶどう畑を開設。オタンの市民(ブルジョワ)は裕福だったので、消費の確保のための戦略として、高い陸路の輸送込みでも勝負になる高品質のワイン造りに着手した。多大な投資とたえざ る畑での労働。結果としてその困難と努力がいまでも継続し、現在の価格差を生んでいる。

<税金と政治の問題>
16世紀前半までロワール中流アングランド以西がブルターニュ公国、東がフランス王国。アングランドでフランス側が輸出入品に課税(関税)、ブルターニュ側は無税。
フランス側アンジュ地方のワイン生産者の努力。結果として税金の多寡がロワールのワイン産地の性格を規定した。

そのほか、「シャンパーニュ20里規定=パリへのワイン流入制限)」「ボルドー特権(免税特権)=ボルドーの上流地域のワインの積出制限(いやがらせ)」など

<テロワール・コンプレックスからの解放>
ワイン関係者が土壌の違いと説明する品質の差は、土壌ではなく政治の結果だった。こうした政治的人為的要因についてはフランスのワイン関連本ではほとんど語られないが、歴史的な批判的眼差は、わたしたちを〈テロワール・コンプレックス〉から解放してくれる。

第3回(7月13日)予定
13:00~14:30 長谷川正之:大正時代の中学教師・三澤勝衛が唱えた「風土産業」とは
15:00~16:30 福田育弘:日本産のワインが美味しくなりだしたわけ