Column[ 読みもの ]

『玉さんの信州ワインバレー構想レポート』(KURA連載)

2016年04月20日

玉さんの信州ワインバレー構想レポート(22)

<塩尻に吹く新しいワインの風>

 

塩尻は山梨と並んで明治時代から日本のワイン産業を牽引してきた先進地で、もちろん長野県では突出した歴史と実績を誇っています。

創業年を並べてみても、「五一わいん(林農園)」1911年、「信濃ワイン」1916年、「アルプス」1927年、「井筒ワイン」1933年、「サントリー塩尻ワイナリー」1936年……と、百年企業を筆頭に、ズラッと戦前からの老舗が名を連ねます。いずれも日本ワイン界の先達として長い歴史を生き抜き、今日の隆盛の先頭を切って走るトップランナーたちばかりです。

戦前の創業としては、上記5社に続いて古くからワインをつくっている小さな醸造所があります。それは、塩尻志学館高等学校です。前身は1910年創立の農学校で、ブドウの栽培をおこなっていたことから、1943年に醸造免許を付与されました。

太平洋戦争末期、日本政府は酒石酸を増産するためにワイン醸造を奨励しました。酒石酸というのはブドウ果粒の中に含まれている成分で、醸造の過程で結晶となり、滓として沈殿したり、容器の壁に付着したりします。これがワインの中に含まれていると口触りが悪いのでふつうはろ過して捨てますが、海軍はこれを兵器に利用しようと考えました。

ワインの液や搾り滓に含まれている酒石酸を、石灰を加えて結晶化して取り出したものは「ロッシェル塩」と呼ばれ、音波を鋭敏に捉える特性があるのだそうです。日本海軍はミッドウェー海戦(1942)で航空母艦4隻を失った痛手を契機に、ドイツから技術を学んでロッシェル塩を用いた高性能のソナー(音波探知機)を開発して戦力を強化しようと、全国のブドウ栽培農家に呼びかけてワイン醸造を奨励したのです。

酒石酸の生産を目的として付与された免許で今日も活動を続けているワイナリーは、いまでも全国にかなりの数があります。また、高校や大学や各種学校で醸造の勉強のために実験設備程度の機材を持っているところもいくつかあります。が、塩尻志学館高校のように、校内にワインぶどう農園と本格的な醸造設備を備えて実際にワインを製造販売している学校は、全国にもほとんど例がないと思います。その意味でも「高校生がつくるワイン」は、ワインシティー塩尻の歴史を物語る稀有な存在であるといえるでしょう。

「昔は農家からブドウを買ってたくさんワインをつくったこともあるけど、最近は規則が厳しいので、自分たちが校内の畑で育てたブドウだけを使って、年間せいぜい数千本か……ブランデーにもするので、ワインの本数はもっと少ないかな」という少量生産。文化祭のときに一般販売するだけなので、めったに手に入らない「幻のワイン」とされています。が、実はこの「KIKYO」ブランドの志学館高校ワイン、とりわけその「メルロー樽熟」は、長野県の全ワイナリーの製品の中でもトップクラスといっていい逸品なのです。

「量は少なくても、世界で評価されるワインをつくりたい。その名前を聞きつけて、世界中の人が飲みに来てくれるような」おいしいワインができても生徒は当分飲むことができませんが、ここでの体験から学んだものが未来に飛翔する糧となるように、生徒たちが誇りをもてる素晴らしいワインをつくりたい、と担任の都筑先生。進学校のため就職する生徒は2割ほどですが、最近は最初から栽培醸造を勉強する目的で入ってきて、卒業後は市内のワイナリーに就職するケースが増えた、と栽培担当の掘先生はうれしそうに話してくれました。

老舗ワイナリーとその契約生産農家ががっちりとスクラムを組んできた塩尻のワイン業界も、日本ワインの新しい風に吹かれて、少しずつ変化を見せはじめてきたようです。2004年に五一わいんから独立して家族経営の小さな「Kidoワイナリー」を立ち上げた城戸亜紀人さん。建築設計の仕事の傍ら理想の土地を求めて全国を歩き、ついに奈良井川の畔に念願の畑を得て2012年から自家醸造を開始した「ヴォータノワイン」の坪田満博さん。ここのところ他のワインバレー地域で目立つようになっている小規模インディーズ(独立系)ワイナリー設立の波が塩尻にも及ぶようになり、2014年には塩尻市がワイン特区の仲間入りをして、新規参入者を迎える態勢がととのいました。

そして、そうした新しい動きと並行して、4年ほどまえから準備をすすめていた、社会福祉法人サン・ビジョンが経営する本格ワイナリー「サンサンワイナリー」が昨年から醸造を開始したのです。

愛知県春日井市に本拠を置くサン・ビジョンは、塩尻駅前で特別養護老人ホームなどが入る複合施設「グレイスフル塩尻」を運営しながら、地域貢献の一環として荒廃地を再生した市の圃場を利用してブドウ栽培を開始、ワイン界では知らぬ人のいないベテラン醸造家・戸川英夫さんを迎えて、素晴らしいワイナリーをつくりあげました。

「営林署の畑を開墾して再生したこの畑は、標高840メートル。高いところにあるのでこれまでは注目されなかったようですが、私はここで質のよいシャルドネをつくりたいのです。塩尻は、赤は定評があるけれども、白にはよいものが少ないから」そういって、真新しいワイナリーのテラスから眼下に広がる一面のヴィンヤードに目をやりながら、戸川さんはいかにもうれしそうに微笑みます。「もう私もトシだから、ワインづくりの仕事は辞めようかと思って山梨に戻ったら、引越してすぐですよ、新しいワイナリーができるから手伝ってくれないかと誘われて……」

マンズワインで名を上げ、新生安曇野ワイナリーの立ち上げに尽力し、名醸造家として功なり名を遂げた戸川さんは今年で75歳。ひさしぶりにお目にかかりましたが、再び情熱をかきたてられる新しい仕事に出遭って元気一杯でした。醸造機器はピッカピカ。きれいなワインをつくりたい、という戸川さんの要望に応えて、徹底した品質管理のための設備が用意されています。この真新しい「シャトー」から、どんなワインが生まれるのか。戸川さんの醸造家人生の集大成となる作品は、塩尻ワインの歴史に新しいページを刻むはずです。

人生の途中からもうひとつの生き方を求めてワインづくりに転身するインディーズも素敵ですが、十代のうちにワインという存在に出会い、農業と化学とアートの感覚が織り成す未知の世界に触れることができる若者も、信頼のできるパートナーを得て、これまでに培ったもののすべてを賭けて表現することのできる場を見つけた老大家も、みんなキラキラと輝いて、NAGANO WINE の未来を象徴しているようでした。塩尻市の「桔梗ヶ原ワインバレー」も、次なるステージに向かって動き出します。
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塩尻志学館高校の実習授業。きょうはブランデーの瓶詰め。

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最新式のタンクの中のワインをチェックする戸川英夫さん。

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ずらりと並んだディスペンサー。フォンタナ・デル・ヴィーノでは、イタリア料理とともに塩尻ワインのほぼすべてを味わうことができる。