Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年08月03日

第1章  習うより慣れろ(7) ―― 馬乳酒の場合 

またちょっと脱線します。カヘチアのワインの話をしていたら、モンゴルの馬乳酒のことを思い出しました。馬乳酒というのは、文字通り、馬のミルクを発酵させてつくるお酒です。2002年の夏、私は馬乳酒を飲むことだけが目的のツアーに参加してモンゴルに行きました。

これは当時私が所長を務めていた『TaKaRa酒生活文化研究所』の企画で、国立民族学博物館の小長谷有紀先生の指導の下におこなわれた「治験」ツアーでした。馬乳酒というのはヨーグルトを薄めたような酸っぱいお酒ですが、飲み続けると「血液サラサラ」になる効果がある。それを実証するために、出かける前と帰る直前に血液検査をして、数値の違いからその効果をたしかめよう、というのです。

馬は、他の多くの動物と同じように、春になると子供を産みます。そして秋までの約半年間、母乳を与えて仔馬を育てます。モンゴルの遊牧民族は、平原に仔馬たちを大きな円を描くように並べて繋ぎ、母馬が乳をやりに寄って来ると、仔馬に必要な分だけ授乳させた後、あとは人間のために馬のミルクをもらうのです。夕方になると、一日分のミルクを集めて細長い容器に入れ、一晩中、棒で突きながら発酵させるのですが、これは女たちの仕事とされています。

馬乳に含まれる糖分はわずかなので、朝になってできた酒は、アルコール分が1~2パーセントの弱いものです。秋になると糖度が上がりますが、それでもせいぜい3パーセント。モンゴルの遊牧民族の社会では、春から秋まで、大人はもちろん子供たちも、一日に何杯もの馬乳酒を飲むのが昔からの慣わしです。

絶えず移動を繰り返しながら暮らす彼らは、農耕によってつくられる野菜を食べることはありませんし、野草や山菜を採って食べる習慣もありません。小長谷先生が日本から持参したインスタント味噌汁を食べていたら、寄って来た子供たちが汁に野菜が浮いているのを見て、「あ、羊の食うものを食べている」といって笑ったそうです。植物は放牧する動物が食べるもので、人間の食べものではないのですね。だから血液は酸性に傾きがちで、とくにほとんど肉しか食べない冬のあいだは健康によくない状態が続きます。

そのバランスを取るために、遊牧民族は春から秋にかけて毎日大量の馬乳酒を飲むのです。私たちの滞在はわずか1週間でしたが、それでも血液検査の数値は少し改善されていました。旅行に行くまで何日も肉しか食べなければ、もっと顕著な違いが出たかもしれません。ひどく酸っぱくてちょっと匂いのする馬乳酒ですが、慣れると平気で飲めるようになりました。

秋になって母馬の乳が出なくなると、最後に集めた馬乳酒を蒸留して、アルヒという強いお酒をつくります。馬乳酒は保存が利かないので、蒸留酒にして、冬のあいだ、行事やお祭りのときに飲むのです。グルジアのワインと、モンゴルの馬乳酒と。季節は反対になりますが、からだのバランスを取って健康を保つために食事行為の一部として飲むお酒であること、また、長期保存や移動運搬のためには蒸留してアルコール度を高める必要があることなど、共通する要素が多いので、グルジアの話をしていたとき、モンゴルの大平原に張ったゲルで馬乳酒を飲みながら過ごした1週間を思い出したのです。

あのときに現地の青年たちがつくってくれた羊の煮込み、おいしかったなぁ。