Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年08月06日

第1章 習うより慣れろ(8) ―― 植物の井戸 

水より安いワインがある、ということは、実際にパリのスーパーに水より安いワインがあるかないかは別として、ワインをつくるより飲み水を手に入れるほうが難しい土地がある、あるいは少なくとも昔はあった、ということを示唆しています。

緑に恵まれた山国の日本では、どこへ行っても清らかな水が流れているので、飲み水に苦労する状況はあまり想像することがありません。もちろん、井戸を掘らなければならない場所や、遠くから水を運ばなければならないところもあったでしょうが、水辺に住もうと思えばそれが可能な国なだけに、中央アジアから地中海の周辺にかけてのような、土地はあり余るほどあるのに水がないから住めないという、乾燥がもたらす深刻な状況を理解するのは難しいかもしれません。

これもだいぶ昔の話ですが、南イタリアの古い町で、昔は水がなかったのでワインで漆喰を溶いて壁を塗りました、という説明を聞いたときは、嘘か冗談だと思いました。が、実際にそうして塗ったという渋いピンク色の漆喰壁を見せられると、土を掘っても飲めるほどの量の水が出ない土地でも、ブドウが育ちさえすればワインができるのだ、ということを、信じないわけにはいきませんでした。

地中海をめぐる一帯の地域は、放っておいてもブドウが育つような気候です。春の芽吹きから秋の収穫まで、雨はほとんど降りません。地面は乾燥し、ブドウは地中深くまで必死に根を伸ばして土の湿り気を集めます。そうして吸収した水分が、漿液となって果粒のひとつひとつにたくわえられるのです。こうして、より条件の厳しい中央アジアから西アジアではマクワウリの一種であるハミウリが、気温の条件がよりブドウに適した地中海沿岸ではブドウが、いわば「植物の井戸」の役割を果たしたのです。

いまでもシリアやレバノンに行くと、ブドウの樹が支柱もなしに地面を這っている光景を見ることができると思います。私が訪ねたイスラエル南部のブドウ畑では、幹から伸びた枝がとぐろを巻くように地面を這い、大きな葉の下に小さな果実が隠れるように実っていました。ブドウの実を強烈な日光から守るために、上から大きな葉をかぶせて、その葉が風で飛ばないよう、ところどころに小石を置くのが農家の仕事なのだそうです。

日本でそんなことをしたら、雨が降ったらブドウは泥まみれになり、すぐに病気が出てしまいます。いや、その前に、ぐんぐん伸びる雑草の陰に隠れて、ブドウの樹がどこにあるかさえわからなくなるでしょう。しかし、根を地中深くまで伸ばすことのできるブドウでなければ生育できないような乾燥した土地では、雑草は生えることがないのです。

地中海周辺に限らず、これはヨーロッパ大陸のほぼ全体について言えることですが、とにかく、雑草が少ない。もちろんたいがいの地域ではまったくないというわけではなく、スベリヒユとかアカザとか、日本で見かけるのと同じ雑草もありますが、圧倒的に量が少ないのです。フランスを旅していると、なだらかにうねる広大な畑の、どこにも働いている人を見かけないことがよくありますが、あれは、草刈りをする必要がないから……じゃないですかね。日本なら、畑仕事の半分は草刈りだといってもいいくらいですから、かならず誰かがどこかで草刈りをしている光景を見るはずです。ヨーロッパのように雑草が少なければ、畑仕事はずいぶんラクでしょうね。