Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年08月13日

第2章 食卓の上の光景(1)――― 庭のクルミの樹の下で

秋になると、いつも思い出す光景があります。庭のクルミの樹の下で、何杯も白ワインのグラスを傾けた午後のこと……。イタリアの、ローマに近い、たしかフラスカティの村はずれだったと思うのですが、はっきりとした場所は覚えていません。それがいつだったのかも、明確には記憶がない。おそらく、私が30歳を過ぎてからもう一度ヒッチハイクでヨーロッパを旅しようと思い、イタリア経由で東欧に行こうとしたときではなかったかと思うのですが、だとすれば、それはいまから36年前のことでした。

ヒッチハイクをしていて、田舎の道端でクルマから降ろされ、空きっ腹を抱えて歩いていると、塀の向こう側からなにやら楽しそうなざわめきが聞こえてきます。昼はとっくに過ぎていて、午後3時をまわっていたのではないでしょうか。背よりも高い石の塀に沿って緩やかな坂道をのぼると、小さな門があって、黒い鉄の扉が開いていました。庭に大きなテーブルを出して、何人かの男たちがワインを飲んでいる。ざわめきは、彼らのおしゃべりと笑い声でした。あまり楽しそうなので思わず立ち止まって見ていると、中の一人が私を見つけて手招きをしています。

こっちへ来ていっしょに飲め。男はそう言っているようでした。といってもイタリア語はよくわからないので、勝手にそう解釈して彼らの輪の中に入っていったら、すぐにグラスを渡され、なみなみとワインを注いでくれましたから、きっとそう言っていたに違いありません。テーブルの上には、籠に盛られた山のようなクルミ。それをクルミ割りで割りながら、男たちが飲んでいます。テーブルの上にはまだ食べ終わった料理の皿が置かれていて、女の人が片付けようとしていました。長い昼食が終った後、男たちだけが残って食卓との名残りを惜しんでいるようです。

私が空腹であることを見て取った主人らしき男が、女の人に指図をして、いったん片付けたパテの皿を持ってこさせ、パンとともに私の前に置き、さあ、といってまたワインを注ぎます。それから後は、片言のイタリア語を交えておしゃべりをしながら、そろそろ日が傾こうとする頃まで酒盛りに加わりました。クルミはこの樹に生ったものだ。おじいちゃんの代からあるクルミの樹だ。ワインは下の畑にあるブドウからつくった。自家製で、毎年その年にみんなで飲む分をつくる。といって家の地下にある貯蔵庫を見せてくれ、土産にやるといって1本くれました。やや発泡性のある、少し濁った麦わら色の白ワインでした。

フラスカティは白ワインの産地で、その家でつくっていたのもすべて白ワインでした。彼らは、どんな料理を食べるときも白ワインを飲むのです。イタリアでは、フランスに近い北部を除いてだいたいは白ワインで事足りる。食べる肉は仔牛、鶏、豚……がほとんどで、とくに、イタリアはITALIAではなくVITELIA(仔牛の国)だ、といわれるくらい仔牛をよく食べるので、なるほどこれなら赤ワインはいらないかも、と思ったものでした。いまではイタリアでも各地の料理が全国で食べられるようになりましたが、その頃はミラノでピッツェリアを見つけるのは至難の技でした。ピザは南イタリアのもので、ローマから北の人は食べる習慣がなかったのです。

レストランの料理は別ですが、私が当時ヒッチハイクでまわった経験では、イタリアの地方で庶民が食べる料理はたいてい「白い肉」か、海辺へ行けば魚介類。自然と白ワインが優位になる風土なのだなあ、と思いました。その土地のワインと、その土地の食べものは、自然に結びついているものなのです。そんなことを思いながら、秋になると、ヴィラデストのブドウ畑の隣の畑でとれるクルミを食べ、そのブドウ畑のブドウからつくった白ワインを飲んでいます。