Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年08月24日

第2章 食卓の上の光景(4)――― ギリシャの古代ワイン

ギリシャにはこれまで4回ほど行っていますが、どの旅も、素晴らしい思い出ばかり残っています。最初に行ったのは学生のとき、フランス留学(遊学)中の、夏休みを利用しての貧乏旅行でした。北アフリカの地中海岸をモロッコからチュニジアまで行き、そこから船に乗って、シチリア経由でアテネに上陸し、イタリアへ向かいました。旅の手段はヒッチハイクでしたが、一日中待ってもほとんどクルマが通らないような、田舎の道ばかり歩いていました。

アテネからだいぶ離れた田舎の、小さな町の入口でクルマを降ろされたので(ヒッチハイカーはドライバーが「ここまで」と言ったところで降りなければなりません)、そのままとぼとぼと歩いて町に入りました。汚い小さなリュックサック(45年前はバックパックという呼びかたはありませんでした)を背負った、いかにも貧乏そうな……というより本当に貧乏な旅行者です。その姿を見つけて、タベルナ(居酒屋)の前の舗道に設えたテーブルで食事をしていた男たちが、手招きをしています。

こっちへ来ていっしょに飯を食え。そう言っているらしい。イタリアの田舎といい、ギリシャの小さな町といい、同じようなシチュエーションが登場しますが、私はいつもよっぽど腹が減った顔をして歩いているのでしょうか。あるいは、人が何かを食べている場面に遭遇すると、強烈な「食べたいオーラ」を発するのかもしれません。このときも、男たちは机の真ん中に置いた壷の中にときどきパンを浸しながら食べ、ガブガブと白ワインを飲んでいました。

さあ、ここに座れ、と言われてテーブルの端に腰を下ろし、リュックサックから頭を出しているフランスパンを取り出して、男たちと同じように食べはじめました。パンは、1本買ってリュックに挿しておき、腹が減るとかじるのです。時間が経っているので硬くなっていますが、男たちが食べていたのも同じように堅いパンでした。その堅いパンを指でちぎり、壷の中の液体に浸して食べています。真似をしたら、強烈に塩っ辛くて飛び上がりました。

壷の中に入っていたのは、アンチョビの塩辛でした。それも、アンチョビそのものの姿は探してももう見つからず、あるのはただ塩辛い汁だけです。その汁を、パンに浸して食べる。乾いたパンは吸収が早いので、一瞬だけ浸して食べるのがコツのようでした。いっしょに飲むのは、松ヤニの入った白ワイン、レッツイーナ。ギリシャ人が愛してやまない庶民のワインです。

古代ギリシャでは、もちろんさかんにワインを飲みました。が、当時のワインは雑菌も入るし劣化も早く、いまと較べればひどいものでした。だから、人はワインに香料や蜂蜜を加えたり、海水で割ったり、さまざまに手を加えて飲んだものです。つくったワインは素焼きの甕に入れて保存しましたが、すぐに酸化してしまうので、甕と蓋との隙き間に松ヤニを塗って密閉しようとしました。そのために、ワインには松ヤニの香りが移ったのです。

その後ワインづくりは進歩しましたが、ガラスの瓶に詰めるようになってからも、ギリシャ人には松ヤニの香りが郷愁を誘うのだそうです。もちろん素焼きの甕に入れていたのは2000年以上も前のことですが、彼らにとっては、ギリシャがもっとも栄えていた古代を思い起こす、大切な縁(よすが)なのでしょう。だからわざわざ松ヤニを加えたレッツイーナというワインがいまでもつくられているのですが、そのレッツイーナも、最近は少しずつ姿を消しているようで、レストランでは置かないところが増えました。田舎のタベルナか古い酒屋にでも行かないと出会えない、幻の味になりつつあるようです。