Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年08月27日

第2章 食卓の上の光景(5)ーーー ヴィーニョ・ヴェルデ

1990年代のなかば頃、私は毎年のようにポルトガルに出かけていました。夫婦で、また友人と、ときには数人のグループで、最初のうちはほぼ全土をまわりましたが、そのうちに北部のミーニョ地方がおもな目的地になりました。ヴィーニョ・ヴェルデという、独特のワインに魅せられるようになったからです。

最初に出会ったのは、オポルトの街中にある小さなバーでした。裏通りに入ったときに見つけたのですが、店の中央に巨大なワイン樽が設えてあり、そのまわりを円形のカウンターが囲んでいます。カウンターの下はガラスのショーケースになっており、ハムなどの簡単なおつまみを載せた皿が置いてあります。客が店に入るなりワインを所望すると、主人は大樽から微発泡の白ワインをコップになみなみと注ぎ、おつまみを注文すれば下のケースから取って客の前に出す。カウンターの前で立って飲む客の、背中側に人ひとりがやっと通れるスペースがある程度の小さな店ですが、私が近くのホテルに滞在していた3日間、毎晩外にまで人が溢れる繁盛ぶりでした。

そこは、ヴィーニョ・ヴェルデ専門のバーでした。「ヴィーニョ」はワイン、「ヴェルデ」は緑。英語に直訳すれば「グリーン・ワイン」となりますが、この「緑」は「若い」という意味です。できたての、かすかに発泡性のあるワイン。かなり酸味がありますが、素朴でフレッシュで、いくら飲んでも飲み飽きない日常のワインです。いまは瓶詰めをして輸出もされていますが、20年前は、オポルトから北のミーニョ地方に行かなければ飲めない地酒でした。

その頃、私は日本であるレストランのプロデュースに関わっていたので、ぜひこのワインを輸入して提供したいと思い、生ビールを詰めるケグ(円筒形の小型金属樽)に入れれば運べるのではないか、と交渉したのですが、「ヴィーニョ・ヴェルデを輸出するだって? こんな安酒に税金をかけて日本に運ぶだなんて、そんなバカなこと考えられないよ」といって一笑に付されました。当時は「ガタオ」というブランドが唯一瓶詰めにされたヴィーニョ・ヴェルデとして首都リスボンでも売られていましたが、このワインの真価はその場で樽から注ぐフレッシュなものにあり、それはオポルトから南の地域では絶対に味わえないものだったのです。

友人たちとレンタカーを借りて、オポルトから半島を北上します。行く先々の村に、ヴィーニョ・ヴェルデを売る店があります。地元の人たちは家から大きな瓶をもってきて、それに詰めて持って帰るのです。私たちもそれを真似ていつも瓶を持ち歩き、空になると次の村で詰め替えて、そんな旅を何日も続けました。クルマで移動中、田舎道をガタガタ揺られていたら、瓶の中のヴィーニョ・ヴェルデが爆発して栓が吹っ飛び、座席がずぶ濡れになったこともありました。

ポルトガルには、100種を超える在来の古いブドウ品種があるそうです。もちろんどれもヴィニフェラ種ですが、メルローやシャルドネには目もくれず、昔からの土着ブドウでつくる日常の飲みものとしてのワインを、彼らはいまも愛し続けているのです。その年に収穫したブドウからワインをつくり、まだ発酵が終らないうちから飲みはじめる。ミーニョ地方のヴィーニョ・ヴェルデやウィーンのホイリゲなど、それこそジョージア(グルジア)の甕入りワインからの流れを受け継ぐ、ワインの飲みかたの原点を伝える習慣はいまも世界のあちこちに残っています。