Column[ 読みもの ]
玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』
2015年09月30日
第3章 ワインづくりは農家の仕事 ――(4)買ったほうが安い
自分が育てたブドウを、近くのワイナリーに持ち込んで、ワインにしてもらう。それで自分のワインができれば十分だ。と、最初のうちは思っていた私も、しだいに、もし工場が畑のすぐ横にあれば、もっとおいしいワインができるかもしれない……と、考えるようになりました。ワインはブドウ畑のあるところでつくるもの、だからです。
工場が畑の傍らにあれば、収穫したブドウをすぐに潰して搾ることができます。雨が降ったら収穫は延期し、晴れた日に採って仕込むとか、早く熟した果実だけ先に採るとか、自分の都合で自由にスケジュールを調整できます。が、他社の工場にお願いする場合は、先方の都合に合わせなければなりません。仕込みが重なる時期だと、あらかじめ日が決められているので、雨が降っても収穫して持ち込まなければならない、というようなこともある。それに、軽トラの荷台で揺られて遠くに運ばれるのも、ブドウにとってはよくないことです。
しかし、私は根っからの理系オンチで、いまさら醸造の化学を勉強する気もなく、だいいち、莫大な投資をして自分でワイナリーを建てようだなんて、考えられもしませんでした。が、ちょうどその頃、仕事の関係で付き合いのあった酒造会社が、畑とワイナリーをつくってワイン業界に参入しようという話が持ち上がったのです。日本酒と焼酎をつくる会社で、ビールはつくったことがありますがワインは初めてです。私は気候的に条件がよいからと、ヴィラデストに近い里山の斜面を候補に推薦し、会社は町の協力を得て地権者との交渉に入りました。
これがうまくいけば、私はラクをしておいしいワインが飲めるはずでした。自分の畑のブドウもそこに預け、ときどき出かけていってはみんなを激励し、高いワインを開けさせて試飲する。そうなれば、こんなウマイ話はない……と思っていたのですが、ダメでした。3年もかけて土地交渉がようやくまとまったというのに、会社の方針変更で計画はボツになったのです。
有名なコンサルタントを先生に招き、優秀な技師を育てようと、そのために畑の面積も増やしたのに、途中でハシゴを外されてしまったのです。もう新しい畑に植える苗木も届いているというのに、突然の撤退宣言だったので、どうしようかと思いましたが、このときに、一瞬、魔が差して、それなら自分でワイナリーをつくろうか、と思ってしまったのが運の尽きでした。それからは、法の壁、足りない資金、妻の反対……次から次へと降りかかる難題に悪戦苦闘。思いついてから2年後に免許が取れたのは、奇跡のような出来事でした。
免許が下りたのは、2003年の10月8日。私の58歳の誕生日でした。この日にシャルドネを仕込んだのが、私たちの最初の醸造です。酒造会社のワイナリー計画はボツになりましたが、3年間うちの畑でトレーニングを積んだ優秀な技師が、栽培醸造の責任者になってくれました。
紆余曲折はありましたが、とにかくこれで、「ブドウ畑の傍らにワイナリーをつくる」ことが実現したのです。ただし、委託醸造をしているときから、「ワインは自分でつくるより他人がつくるものを買ったほうが安い」ことはわかっていたのに、58歳で1億6000万円の借金をしたのですから、その価格の差はとんでもなく大きなものになり、もはや取り返しがつかなくなりました。