Column[ 読みもの ]

『玉さんの信州ワインバレー構想レポート』(KURA連載)

2015年10月21日

玉さんの信州ワインバレー構想レポート ⑮

 

千曲川リヴ・ゴーシュ

「リヴ・ゴーシュ(RIVE GAUCHE)」は「左岸」のこと。川の上流を背にして立ったとき、左手に広がる河岸が「左岸」すなわち「リヴ・ゴーシュ」です。パリでは、セーヌ川の「左岸」といえば学生街のカルチエ・ラタンや芸術家や知識人が集まるサンジェルマン・デ・プレなど、ファッションでも先端を行くお洒落な街として知られていますが、さて、千曲川ワインバレーの「左岸」はどうでしょう。

広域ワイン特区「千曲川ワインバレー東地区」を構成する8市町村のうち、5つの市町は千曲川をまたいでいます。あとの3つ(立科町、長和町、青木村)は全域が左岸にあります。上田市は左岸の塩田と丸子に大きなヴィンヤードがありますが、まだワイナリーはありません。いまのところ、東地区で左岸にワイナリーがあるのは青木村(ファンキー・シャトー)だけ。マンズワインの小諸工場も右岸ですし、東御市にある5つのワイナリーはすべて右岸です。

東部町と北御牧村が合併してできた東御市は、右岸の旧東部町地域が巨峰とクルミ、左岸の旧北御牧村地域はコメ、ジャガイモ、朝鮮人参と、得意とする作物がはっきり分かれていました。東御市で最初にワインぶどうを栽培したヴィラデストが右岸の旧東部町を本拠にしたのは単なる偶然からですが、巨峰がよくできる土地だからワインぶどうにも適しているだろう、という推測が、意識の中にあったことはたしかです。

現在、既存のワイナリーのほかに、東御市内でワインぶどうの栽培を手がけている(将来はワイナリーをつくりたいと思っている)人が約20人いることがわかっていますが、なんとそのうちの19人までが右岸に畑をつくっているのです。そういう状況を見て、いまでも左岸の旧北御牧村地域の人たちの中には、やっぱり左岸ではブドウはできない、と信じている人が多いようです。

しかし、東御市の千曲川左岸地域は、新しいワイン産地として素晴らしいポテンシャルをもった土地です。地元の人は「粘土質だからブドウはできない」と思い込んでいますが、ヴィラデストの畑も強粘土ですし、マリコヴィンヤードは北御牧地域と同じ土質が続く丘陵の一角です。左岸が千曲川に落ち込む斜面は北向きですが、北御牧は大きな台地なので、斜面を上ればその上には日当たりのよい土地が緩やかなうねりを見せながらどこまでも続いています。

シクロヴィンヤード

この土地に目をつけて、最初にワインぶどうを定植したのがシクロヴィンヤードの飯島さん夫妻です。八重原米の田んぼを見下ろすなだらかな斜面に2年前から畑をつくり、少しずつ面積を拡大して、2ヘクタールに近い面積を確保しました。まだ2年目というシャルドネの枝には早くも数多くの実がつき、もう、立派な成園の姿です。「土が肥沃なのか、樹勢がかなり強いですね。ソーヴィニョン・ブランやピノ・ノワール、メルロー、アルモノワールなども植えていますが、今年の秋には一部を県の食品開発センターで試験醸造してもらうつもりです」

真っ黒に日焼けしたがっしりした体躯の飯島規之さんは、自転車競技の世界記録をもつ元競輪選手。国際大会でも数々のメダルを取った一流選手でしたが、競輪のレース中に大腿骨を粉砕骨折して、一度は立ち直るもののほどなくして選手を引退。第二の人生として50歳からのワインづくりに挑もうとしています。「ブドウ畑の名前も、第3コーナーだとか第4コーナーだとか、競輪のバンクみたいな名前をつけてるんですよ」 といって笑う奥さんの祐子さんは、埼玉の中学校のときの同級生。いっしょに畑で働きながらストイックに努力する夫を支えている。そのひたむきな姿を見て、地元の農家のみなさんも一生懸命応援してくれています。

「目の前の道路は、田んぼを一周しているんです。ワイナリーができたらここで自転車レースをやりたい」という飯島さん夫妻。シクロ(サイクル)ヴィンヤードは、現役時代から走り続けるバンクの延長に見えてきた夢なのです。

飯島さんが見つけた土地は、東御市の南東の端、立科町との境目にあります。北御牧の台地は水に乏しいところで、先人が苦労して立科から引いた疎水と、あとは溜め池を利用して農業用水をまかなってきました。飯島さんは地元の農家の溜め池の水を消毒用に使わせてもらっているそうですが、特産の八重原米も旱魃の年にはギリギリの水不足に悩まされるので、ブドウのために使える農業用水はないのが実情です。この問題点だけ解消できれば、広大な面積の荒廃農地はすべて上質なヴィンヤードに変身できるのですが……。

立科町にも新しい動きが

立科町では、まず米村町長をお訪ねしました。就任して3ヵ月あまりの新町長ですが、農業振興に力を入れて、ワイン農家をサポートします、と力強く約束してくれました。白樺高原、女神湖などの人気リゾート地を抱える町ですから、ヴィンヤードとワイナリーができればまた新らしい魅力が加わるでしょう。

立科町のワイン農家は、伊澤貴久さんです。証券会社から官民ファンドの立ち上げに参加した金融のプロで、私が最初に会ったのは、いまの「アルカンヴィーニュ・プロジェクト」の企画を立てようとするとき、彼が資金を投資する側の営業部長としてヴィラデストにやってきたときのことでした。それが、いまではすっかり逞しく日焼けしたファーマーの風情で、目を細めながら自分のブドウの樹を眺めています。

「いや……実は、若い頃からこういうことをしたかったんですよ。東京に住んでいたくなくて。本当は40歳くらいから始めたかったんだけど、10年遅れてしまいました」20代の頃から勝沼あたりのワイナリーにはよく通っていて、結婚した相手がまたワイン好き。奥さんの別荘がある立科町に毎年来ているうちに、この土地でワインをつくろうと決心したそうです。4年前から少しずつ畑を増やし、森からやってくるシカやハクビシンと闘いながら、丁寧にブドウを育てています。

よく手入れされた畑の横に、幼いヤギが一頭いました。「来年からもっとヤギを増やします。浅科においしいヤギのチーズをつくる工房ができるので、そこにヤギの乳を提供してチーズをもらおうかと」佐久市浅科には、一流自動車メーカーを辞めてチーズ工房をつくる人がいるそうです。こんなふうに、続々と異業種からおいしいものをつくる農業に身を投じる人が増えてくれば、千曲川左岸は、右岸に負けない魅力に満ちた土地になること間違いありません。

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元競輪選手の飯島規之さんと、パートナーの祐子さん。早くも立派なブドウが実っています。

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元金融マンの伊澤貴久さんは、若い頃からの夢を立科町で実現しようとしています。