Column[ 読みもの ]

玉村豊男 新連載コラム『ワインのある食卓』

2015年10月19日

第3章 ワインづくりは農家の仕事 ――(7)不可能のワイン  

もっていたはずなのに、いつのまにかなくなっている本があります。誰かに貸した……という記憶もないのに、おそらくこの本の場合は、あっちこっちへもっていって、どうだ、面白いだろう、と見せてまわっているうちに、どこかの家に忘れたか、誰かの手に渡ったままになってしまったか、そんなところだろうと思います。

その本の名前は、“Les Vins de l’impossible”……日本語に訳すと『不可能のワイン』というフランス語の本です。ネットで検索すると、フランスのアマゾンには名前が出てくるのですが、「入手不能」とありました。さいわい、私がかつて書いた『私のワイン畑』という本に内容の紹介があるので、それを読みながら説明します。

この本は、フランス以外の、世界のとんでもない場所でワイン用のブドウが栽培されているようすを書いたものです。そんなところでブドウを栽培するなんて不可能だ、と思われるいくつかの場所……たとえば、カナリア諸島のランザロットという島。あまり印象的だったのでその写真はいまでもよく覚えていますが、黒灰色の砂に埋め尽くされた砂漠のような平原に、円形のサークルが規則的に並んでいます。

ひとつひとつのサークルは20~30センチの高さに積み上げられた小石が直径数メートルの円を描いていて、その中心にブドウの樹が植えられています。柵も支柱もなく、ストーンサークルの中心に植えられたブドウは、まるで野生の草木のようですが……不思議なことにこの平原には、見渡す限りブドウの樹以外の緑はいっさいないのです。

なんでもこの土地は、1メートルくらいの深さまでがサラサラの砂で、雨が降ってもすぐに吸い込まれてなくなってしまう。が、1メートルより下の地層は粘土質で、年間降雨量150ミリというごくわずかに降る雨を、そこに滞留させるというのです。だから、根が深くまで伸びないふつうの草は水がなくて枯れてしまうけれども、ブドウだけは水のある粘土層まで根を伸ばすので生き延びる……。ブドウの樹の周囲を石積みで囲うのは、砂を這うように吹く強烈な熱風から葉を守るためだそうです。

まったく、そんな「不可能な」ところでも、人はワインをつくるためにブドウを植えようとするのです。この本ではそのほかに、標高1500メートルの高地にあるイランのペルシャ湾岸シラーズのブドウ畑や、アフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈にある標高2300メートルのブドウ畑など、フランス人の常識では考えられないような「とんでもない場所」でのブドウ栽培のようすが記されています。

そして、タイ、ブラジル、ヒマラヤ……と読み進めていくと、なんと、ありましたね、日本が。この本では日本のワインぶどう栽培についてかなりのページが割かれていて、フランス人が書いた日本の情報としてはかなり正確でしたが、それにしても、やっぱり日本でブドウを栽培してワインをつくるのは「不可能な」ことだとフランス人は思っている。彼らにとって日本は「とんでもない場所」なんだ……という、軽いショックがありました。

この本を読んだのは私が最初にブドウを植えようとしていたときだったので、とんでもないことにチャレンジする勇気を与えられたような、でもやっぱり不可能だといわれているような、複雑な気持ちになったことを覚えています。