Column[ 読みもの ]
『千曲川ワインバレー』MAKING & BACKGROUND
2014年10月21日
『千曲川ワインバレー』MAKING & BACKGROUND ④
2014年10月21日
千曲川ワインバレーという言葉
「千曲川ワインバレー」という言葉は、2011年の末頃から私が意図的に使いはじめました。ワインぶどうを栽培したい、将来はワイナリーをつくりたい、といって移住を希望する人が増えているのに、行政の対応はいまだ十分でなく、地元の人たちの理解もそれほど進んでいません。それならあちこちでまず言葉を広めようと、新聞や雑誌のインタビューなどで、ことさらこの言葉を取り上げてPRしたのです。
15年ほど前に研究所の仲間たちと夢物語のように話していたときは、「ナパバレー」からの連想で、「千曲バレー」とか「千曲川バレー」とか、それぞれが勝手に呼んでいたように記憶しています。が、その後の市町村合併で「千曲市」という市名が生まれたこともあり、また、ワインのことをよく知らない人には単に「バレー」といっても通じにくいかもしれないと思い、「千曲川ワインバレー」という名で統一することにしたのです。そのうちに、しだいに地元の新聞(信濃毎日新聞)などで使われるようになり、その後少しずつ認知度が高まっていきました。
一通の手紙
そんな頃、私は、ある見知らぬ人から一通の手紙を受け取りました。
差出人は、東京で金融関係の仕事をしている人で、父祖の地である東信地域には小さい頃から繰り返し滞在してそのようすを眺めてきたが、とくに最近は、農業の衰退と経済的な低迷に心を痛めている。そこで、この地域に活気を取り戻すために、千曲川周辺に小規模ワイナリーの集積をつくるインキュベーション(育成)事業をはじめたい、というのです。そのために新規事業開発を数多く手がけてきた自分の経験と知見を生かしたいが、ワインについては知らないことも多いので教えてほしい、というのが手紙の趣旨でした。
ワイナリーを集積する。ワイナリーをやる人を育成する……たしかに、ワイン用ブドウを栽培したいといって私のところに相談に来る人は多く、将来は自分でワイナリーをつくりたい、と考える人も少なくありません。が、他人が夢見るワイナリー事業を、ビジネスとしてサポートしたい、という人は初めてです。
その手紙を読んで私は、私がこれまで漠然と考えていたことを明確なかたちで具体化してくれそうな人があらわれたと感じ、その考えに刺戟されて、私は私なりにそのための方策について考えはじめました。
この方とは、その後、何度も会っていろいろな話をし、一時は共同でインキュベーション事業を立ち上げる可能性についても検討しましたが、最終的にはそれぞれが別のやりかたで同じ目標をめざして進むことになりました。
が、その過程で私が考えたことが『千曲川ワインバレー』という本の骨子をかたちづくり、さらには「日本ワイン農業研究所」によるワインアカデミーのプロジェクトを生むことになったのですから、すべてはこの一通の手紙からはじまった、といっても過言ではないでしょう。
ワイナリーを「孵化」させる
インキュベーションというのは「孵化」という意味で、鳥の卵からヒナが孵(かえ)るように、新しい生命が生まれるのを見守り、元気に育つよう手助けする、というイメージから、ベンチャービジネスなどの新事業がうまくスタートして順調に育つようサポートする「育成」の仕事をそう呼ぶのですが、ワイナリーについても同じようなことを考えて、すでに実行に移している人たちがいます。
新潟の「カーブドッチ」(*1)は素晴らしい施設をもつ人気ワイナリーですが、ここの創立者である落(おち)希一郎さんは、ワイナリーをつくりたい人を募集し、栽培と醸造の技術をマンツーマンで教え込みながら、最終的には近隣の農地を紹介してそこで独立させる、という方式の、いわば「インキュベーション塾」のようなシステムで人材を養成しようと考えました。その結果、実際にカーブドッチから「孵化」したファミリーワイナリーが周辺にいくつもでき、いまでは広大なワイナリーパークのような地域空間をつくりだしています。
落さんはその後、北海道に新天地を求めて新しいワイナリーを立ち上げましたが、同じように、栃木県足利市の「ココファーム」(*2)で活躍したブルース・ガットラブさんもインキュベーション事業がしたいと考えて北海道に移住し、岩見沢市に「10R(トアール)ワイナリー」をつくりました。
ブルースはニューヨーク生まれの醸造家で、在日20余年。日本ワインの発展に多大な功績を残している人ですが、彼はブドウの栽培農家に自分自身のブランドのワインをつくってもらいたい、と考え、そのために醸造を引き受けるワイナリーをつくったのです。それも、ブドウを持ち込んでくる農家に、どういうワインにしたいか、と希望を聞き、本人が望むようなワインをつくるための方法をアドバイスして、その通りにワインをつくってあげるのです。できたワインは農家が引き取り、それぞれのブランドのラベルを貼って売り出します。
ブルース自身も自分の畑をもち、家族で畑を耕して自分のブランドのワインをつくっていますが、それよりも地元の農家のワインをブランド化することに力を注いでいて、「10Rワイナリー」という名も、10アール(300坪)の畑しかない農家でもつくれるワイン、というだけでなく、醸造をするワイナリーの名前やブルース・ガットラブの名前が表に出ないように、とくに名のない「とある」ワイナリーがつくったワイン、という意味を込めているそうです。
こんなふうに、「農業としてのワインづくり」をみずから実践することで日本のワイン界をリードしてきた実力派の栽培醸造家が、それぞれの哲学にもとづいたインキュベーション事業をおこなっている例はありますが、いうまでもなく、これは誰にでもできることではありません。
しかも、「千曲川ワインバレー」の場合は、弟子を取る……には新規参入希望者の数があまりにも多く、また、彼らの大半はこれからブドウ栽培をはじめる人たちなので、最初から委託醸造で経営を成り立たせることも難しいのです。
多くの新規参入者が、それぞれのやりかたで土地を確保してブドウを植え、みんなが自分でワインをつくることを夢見ている……そういう地域に小規模ワイナリーの集積による新しい産地をつくるには、いったいなにが必要とされているのでしょうか。
註(*1) カーブドッチ
新潟県角田浜に落希一郎が1992年に設立したワイナリー。ドイツで学び、北海道ワインを経てサンクゼールワイナリーの立ち上げに参加した後、雨の少ない新潟の海辺を選んで独立した。年々その規模を拡大し、各種のレストランや地ビール工場、ホテルや温泉施設などを備える総合的なリゾートとして発展してきた。その後、落希一郎は北海道余市に移住して「オチガビワイナリー」を創立、ここでも後進を育成する教育事業を計画している。現在、カーブドッチ(欧州ぶどう栽培研究所)は創業からのビジネスパートナーである掛川千恵子が経営し、盛業を続けている。
註(*2) ココファーム
足利市の障碍者支援施設「こころみ学園」の川田昇園長の発案で、生徒たちが心身を鍛えながら働く場所として急峻な斜面にブドウ畑をつくり、アメリカからブルース・ガットラブを招聘してワイナリーを開いた。独自の見識に基づく上質なワインを生産する一方、地元住民に愛される施設として多彩な活動をおこない、また多くの栽培醸造技術者を育成し全国に巣立たせている。