Column[ 読みもの ]

『玉さんの信州ワインバレー構想レポート』(KURA連載)

2015年08月05日

玉さんの信州ワインバレー構想レポート⑦

 

南信州の大きなポテンシャル

信州ワインバレー構想で区分けされた四つのワインバレーのうち、もっともワイナリーの数が少ないのが「天竜川ワインバレー」です。これまでは宮田村の本坊酒造と松川町の信州ましのワイナリーの、わずかふたつだけでした。が、そこへつい最近、伊那谷に三つ目のワイナリーが誕生したというニュースが飛び込んできました。さて、いよいよ天竜川ワインバレーも動き出すのだろうか?

もともと信州ワインバレー構想というのは、長野県を流れる大きな川の流域を「バレー(渓谷)」に見立て、それぞれの特徴を生かしてワイン産業の活性化をはかろうという考えから発想されたもので、最初は、千曲川と犀川、それに天竜川を加えれば信州の三大河川が網羅されるだろう、と考えていました。

が、犀川は、上流には梓川と奈良井川があってそれぞれの潤す地域が異なるし、それに明治時代からのワイン先進地である塩尻は歴史も実績も他の地域より抜きん出ていることから、結局、犀川の系統は「桔梗ヶ原」と「日本アルプス」に分けられることになったのです。そして、まだワイン産業が本格的には根づいていない天竜川ワインバレーは、実態より名前だけが大きく前に出るかたちのまま今日を迎えています。

しかし、私は、南信州には大きなポテンシャルがあると思っています。まず、なによりも深く刻み込まれた渓谷の印象的な景観と、歴史と伝説に彩られた文化的背景、あきらかに信州の他地域とは違う気候的条件など、その特色をうまくワイン文化と結びつければ、ほかのどこにもない特徴を売り出せるのではないかと思うからです。

たしかに、気温や雨量などの自然条件から見ると決して有利な環境ではないかもしれません。が、昨今は世界中で、不利といわれた気候条件を跳ね返して優れたワインを作る例があらわれており、タイやインドやインドネシア(バリ島)など「新緯度帯」といわれる地域のワインが世界的な評価を得るようになっています。それを考えれば、日本列島は全体がワインぶどうの栽培適地とされる北緯三十度から五十度の範囲にすっぽり収まっているのですから、天竜川の流域など願ってもない好環境と考えたほうがいいかもしれません。

ウィスキーもつくるワイナリー

「このあたりは晴天率が高いし、土壌は花崗岩質で水はけがよいので、ブドウ栽培には適しています。夏は暑いといっても夜の温度は二十度くらいまで下がりますし、寒暖の差もしっかりある」
と、宮田村での栽培環境について語ってくれた本坊酒造「マルス蒸留所」の竹平さんは、「でも、天竜川ワインバレー、という名前がつけられたときには、ちょっと困ったな、と思いましたよ」
と述懐します。

というのも、「ちょうど、ワインよりウィスキーに力を入れはじめたときだった」からです。本坊酒造は、明治初年からの伝統を受け継ぐ鹿児島の焼酎メーカーであると同時に、日本のウィスキーの発祥に関わる古い歴史をもつ国産ウィスキーメーカーであり、また日本で最初に「地ビール」を手がけたクラフトビールの先進メーカーでもあり、そして宮田村では地産地消のワインづくりを推進する、小さいながらも日本では数少ない総合酒類メーカーなのです。

「ワインは、宮田村の農家のみなさんのお手伝いをしているだけですが、たまたま山梨大学の山川祥秀先生とご縁があったことから、先生が開発したヤマソーヴィニョンの栽培をはじめたのです。いまでは樹齢十七年にもなった樹から、質のよいブドウが採れるようになりました。『紫輝』と名づけた、ヤマソーヴィニョン100パーセントのワインは自信作で、発売するとあっというまに売り切れるほどの人気です」

ヤマソーヴィニョンは、野生の山ブドウにフランスのカベルネ・ソーヴィニョンを交配したハイブリッド品種だが、樹齢を重ねたせいか、野生種の強い酸と匂いがほどよく消えて、バランスのよいワインを生み出しています。「でも、当分は、ウィスキーのほうが忙しくなりそうで」竹平さんは、困ったようなうれしいような顔をしてそう言います。NHKの朝ドラ『マッサン』の影響もあって、ウィスキーの売れ行きが好調なのだそうです。国内ばかりでなく、海外でも日本製ウィスキーの評判は近年きわめて高くなっています。

ワインとウイスキーの両方をつくるメーカーは、あれもこれもで忙しそうですが、せっかくだから両方をつくっている利点を生かして、シェリーかマデイラのような酒精強化ワインをつくってはどうでしょうか。発酵途中のワインにアルコール(ウィスキー原酒)を加えて発酵を止めれば、甘味の残った度数の高いワイン(酒精強化ワイン)になります。南信州の魅力的な風光の中で、そこに受け継がれた酒造りの歴史と技術を注ぎ込んだ新しいワインが生まれれば、天竜川流域の可能性はさらに大きなものになるのではないでしょうか。

日本のヴェルモットができる?

マルス蒸留所の工場でワインとウィスキーを試飲した後、私たちは養命酒の工場を訪ねました。養命酒といえば、江戸時代から愛されてきた日本を代表する薬用酒。いまでも全国にファンが多いが、昔はそれこそどの家庭にもかならず常備されていたもので、私の母なども毎晩小さなキャップに一杯、これを飲むとよく眠れるといって愛用していました。

駒ヶ根の自然のなかにつくられた養命酒の工場は、アルプスを望む素晴らしい環境に近代的な建築がマッチした見事な景観で、連日たくさんの観光客が見学にやってきます。見学用の施設もよくできていて、歴史から製法までがよくわかるように解説されています。

養命酒は、上質なもち米からつくった味醂に十四種類の生薬からエキスを浸出させたものですが、私は以前から、養命酒は日本のヴェルモットだ、と思ってきました。ヴェルモットは、ワインに薬草の成分を滲出させたもので、おもに北イタリアや南フランスでつくられます。ニガヨモギ、シナモン、クローブ、ビターオレンジなど、使用する薬草やスパイスの種類は各社の秘伝で、かつては修道院などでつくられた薬用酒であるところも養命酒の歴史とよく似ています。フランスでは辛口の、イタリアでは甘味のあるタイプをつくるのが伝統ですが、養命酒のもとになる味醂をワインに変えるだけで、いまの十四種の薬効成分をそのまま生かしたジャパニーズ・ヴェルモットができるはずです。

この地域は長野県で唯一お茶を産する温暖な土地ですが、シェリーやマデイラも気温の高い土地で生まれたものです。噴火した火山が海から突き出たかたちのマデイラ島では、山の高いところがブドウ畑で、下のほうはバナナ畑になっています。天竜川の深い谷にも、ブドウ畑と茶畑の両方が共存していて、ワイナリーではワインの試飲が、茶園ではお茶の試飲が、ともに楽しめたらどんなに素敵でしょうか。日本ワイン、日本ウィスキーと並んで、マデイラもヴェルモットも「天竜川ワインバレー」ではできるのだ、と考えると、なんだかワクワクしてきませんか?

収穫が終わった小田切多聞さんのヤマソーヴィニョンの畑。樹勢をコント ロールしながら栽培する独特の技術が受け継がれている。

収穫が終わった小田切多聞さんのヤマソーヴィニョンの畑。樹勢をコントロールしながら栽培する独特の技術が受け継がれている。

本坊酒造マルス蒸留所は、ワインとウイスキーの両方を試飲することができる珍しいワイナリー。

本坊酒造マルス蒸留所は、ワインとウイスキーの両方を試飲することができる珍しいワイナリー。

ウイスキー蒸留用のポットスティル。歴史的な名機も近く新型のものと交換される予定。

ウイスキー蒸留用のポットスティル。歴史的な名機も近く新型のものと交換される予定。

 

 

 

 

 

(KURA 2015年1月号)