Column[ 読みもの ]

『玉さんの信州ワインバレー構想レポート』(KURA連載)

2015年07月29日

玉さんの信州ワインバレー構想レポート⑥

東御市にマイクロワイナリーが新登場

前回は大町市での新ワイナリー建設を報告しましたが、その後、東御市で4軒目となるワイナリーが誕生したというニュースが入ってきました。マイクロワイナリー「ドメーヌ・ナカジマ」の立ち上げまでの軌跡は、これから新規参入をめざす人たちに多くの示唆を与えるでしょう。

千曲川ワインバレー地域には、新規参入をめざす人たちが数多く集ってきています。東御市内だけでもすでに十数人が自分の畑を確保してワインぶどうを育てているといわれ、なかにはすでに収穫したブドウを既存のワイナリーに持ち込んで醸造してもらい、自分のブランドのラベルを貼って売り出している人もいます。

東京の会社をやめて信州に移住し、ブドウを育てて将来はワインをつくりたい、といって相談に来る人も、相変わらず後を絶ちません。私のところには、9月以降、3人の人が訪ねてきて、そのうちのひとりは来春に会社を辞めるといってもう農地を探しはじめましたし、もうひとりは先月から週末に研修に来て作業を手伝っています。それぞれ三十代と五十代の男性ですが、あとのひとりは六十五歳で、向こう二十年間は元気で農作業ができるから大丈夫、といって意気軒昂です。

知らない土地に移住して、まず農地を探して借りる手続きをし、農業の経験のない人がブドウ栽培という農作業に従事する。会社を辞めれば収入がなくなるが、まずは苗木を発注してトレリスを立てたり、農業資材やトラクターなどを買ったりする資金がいる。多少の蓄えがあったとしても、収穫があるまでの5年間を暮らす生活費を賄った上に、将来に備えてワイナリーを建てる資金も用意しなければならない……と考えたら、そう簡単に飛び込める世界ではありません。

が、その中で着実に計画を進めて実現への道筋をたしかなものにする人がいる一方、十分な意欲とそれなりの資金があったにもかかわらず、途中で挫折して夢をあきらめる人もいます。その違いは、どこから出てくるのでしょうか。

ドメーヌ・ナカジマの挑戦

「ドメーヌ・ナカジマ」を立ち上げた中島豊さんは、東京都羽村市出身の36歳。理系の大学院を出てシステムエンジニアとして就職し、7年間のサラリーマン生活を送りました。ワインに魅せられたきっかけは、趣味の料理でした。勤めの傍ら通うようになったフランス料理の学校で、つくった料理に合うワインを選んで飲むことを覚え、ワインの奥深さに夢中になったのだそうです。それからはワイン教室で勉強したり、フランスやドイツのワイン産地を訪ねたり、そのうちに、とうとう自分でワインをつくろうと決心するに至ったのでした。

東御市は2008年にワイン特区を取得しました。ワイン特区では、通常の免許に必要な年間生産量の3分の1でも醸造が認められるので、小さな工場で年間2000リットル(ボトルにして約3000本)以上つくればよい。中島さんはそれを知って会社を辞め、すぐ東御市に移住して土地を探しはじめました。

「ドメーヌ」というのは、フランスのブルゴーニュ地方に特徴的な、小さな自分の畑でブドウを育ててワインをつくる、自家栽培醸造所のことです。自分のワイナリーを「ドメーヌ」と呼ぶ中島さんは、自分ひとりで面倒が見られる面積の畑で、納得の行くワインを少量だけ生産するスタイルを求めていたので、まずは小さくてもいいからイメージに合う畑を探すことに専念しました。市役所にも農協にも相談には行きませんでした。自分の足で風景を見ながら歩き、畑で働いている人に声をかけて、このあたりで土地を貸してくれる人はいないかと訊いてまわりました。

地元の農家に紹介してもらった土地は、東御市西田沢地区の里山の南斜面。トラクターも登れない急坂でした。が、中島さんは、機械が使えなければ手作業でやればよい、日当たりと水はけがよいのはブドウに最適、と意に介さず、少しずつ苗木を植えていきました。

ワイナリーの建築資金は、農作業を終えた後にシステムエンジニアのアルバイトをして溜めました。夜勤仕事は体力的には辛かったが、ここが我慢のしどころと頑張った。息子を応援してくれるお母さんが、ときどき仕送りをしてくれました。こうしてつくったワイナリーは、1階がコンクリートづくりの醸造所で、面積は9メートル四方の81平米。2階が住居になっている。補助金はもらわず、日本政策金融公庫からの融資だけで建設費を調達したそうです。

畑の面積は現在1.2ヘクタール。隣接する土地もそのうちに少し使わせてもらえそうですが、あまり増やすつもりはないといいます。特区要件の年間3000本を少し上回る程度の生産量でも、毎年借金を返しながら、なんとか暮らしていける目処が立つと計算しているからです。

中島さんは、カベルネ・フランとシュナン・ブランを中心に、ロワール地方でできるような自然派のワインをつくりたいと考えています。小さくても個性的な、誰も真似のできないワインをつくるのが目標だそうです。そうすれば、これから激しくなる競争にもきっと生き残れるだろうと踏んでいるのです。

起業家に必要な資質とは

「ドメーヌ・ナカジマ」の物語には、学ぶべき点が少なくないと思います。
まず、市役所にも農協にも相談せず、直接農家にあたって土地を探したこと。市役所に頼んでもすぐに土地を紹介してくれるわけではないし、中間管理機構が農地を斡旋してくれるわけでもない。自分で探す努力をしないで他人(行政)を頼ると、せっかく紹介してもらってもその土地が気に入らないと文句ばかり言うことになってしまいます。

小さな畑からスタートして、徐々に面積を増やしていく。これも正しいやりかたです。そして、理想のイメージにあまりこだわり過ぎないこと。中島さんは土地を探す過程で、「手に入った土地が自分の運命」と受け止めるようになったといいます。決断が早いのも、また理想を掲げながらも状況に応じて臨機応変に対応できるのも、起業家に欠かせない資質といえるでしょう。

収支の予測も、最初はまったく立ちませんでした。成算のないまま、好きなワインをつくりたい一心で闇雲に計画を進めたといいます。が、結局は一念が石を貫いたのです。最初から数字を考えて何年も先の収支予測などしてしまうと、パソコンのデータは「やめなさい」という結論を出すに決まっています。

特区要件のワイナリーでは生産量が少な過ぎて生計が成り立たない、という意見がいまだに大勢を占めているようですが、実はそうでもないのです。いいワインをつくれば、20年間借金を返しながら、夫婦と子供2人くらいで穏やかな生活を営むことは十分に可能なのです。中島さんは独身ですが、農作業を厭わない奥さんを見つければ、畑の面積も倍に増やせるでしょう。

奥さんがいないか、いた場合に賛成するか、また両親が賛成して支援してくれるか、という点も、マイクロワイナリーの成立にとっては重要なポイントになります。その意味で、「ドメーヌ・ナカジマ」の誕生には、参考になる要素がいっぱい詰まっています。

急斜面の畑をバックにヨーロッパ風の建物が。 工場の2階に住めるのも理想的な環境だ。

急斜面の畑をバックにヨーロッパ風の建物が。
工場の2階に住めるのも理想的な環境だ。

中島さんは、まだ36歳。よいワインをつくる時間はたっぷりある。

中島さんは、まだ36歳。よいワインをつくる時間はたっぷりある。

(KURA 2014年12月号)