Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2017年02月03日

苗木不足とワインブーム

一面に雪が残った畑で、今年も剪定の作業がはじまりました。収穫が終わった後、葉を落とした裸の枝が真っ直ぐ上に向かって伸びているのを、根もとのところまで切り詰めていく仕事です。このとき、次の収穫のためにそのうちの1~2本を選んで残しておくのですが、どの枝を残すかによって将来の樹形が定まっていくので、剪定は経験が必要な難しい仕事です。剪定が終わった後、残された枝を地面と並行に張ったワイヤーに添って折り曲げ、テープで留めていく誘引という作業を済ませれば、あとは芽が吹くのを待つばかり。春の遅い信州の里山では、ブドウが芽吹くのは4月も末に近くなってからのことです。

ブドウの果実は、その年に伸びた新梢(新しい枝)にしかつきません。だから剪定によって1本の樹に1~2本だけ残された古い枝は「結果母枝」(その年の秋にブドウ果が実を結ぶための母親になる枝)と呼ばれ、その母枝から芽吹いた何本かの新梢が、すくすくと枝葉を伸ばして果実をつけるのです。剪定のときに切り落とされた「剪定枝」は、病虫害を防ぐため燃やして灰か炭にしてから畑に撒くのが一般的ですが、その一部を「穂木」として取っておいて別の「台木」に接ぎ木すれば、そのブドウの樹と同じクローンの苗木をつくることができます。

数日前のことですが、「ワイン用ブドウ 苗木不足深刻化」という大きな見出しの記事が信濃毎日新聞に載りました。「新たなワイナリー(ワイン醸造所)が急増していることに加え、生食用ブドウの苗の需要増に押され、全国的に供給が追い付いていない」として、苗木不足の現状を取材した記事でした。その通り、将来の小規模ワイナリー建設をめざして植栽をはじめる新規就農者が増えた上に、「日本ワイン」市場への本格的参入に乗り出した大手ワイナリーの大規模ヴィンヤード開発が加わって、全国的に苗木が不足しています。

ワインぶどうの苗木は、アメリカ系品種の(フィロキセラ虫害への耐性をもつ)台木に、望みのワインをつくる専用品種(シャルドネやメルローなど西欧系ヴィニフェラ種)の穂木を接いでつくるのがふつうです。接ぎ木はある程度の技術があれば個人でもできますが、大量につくるには専用の温室や圃場をもつ苗木業者が必要になります。が、ブドウの苗木業者は全国でも十指に満たない上に、これまで何十年間も一定量の需要しかなかったので、急に大量の発注があっても対応ができないのです。穂木は冬のあいだに切り落とした剪定枝を使えばよいので(よほど特別なクローンを望まない限り)量には困りませんが、台木のほうは全体が相当大きくならないと毎年たくさん枝を切って使うことができないので、いまから植えたとしても使えるようになるまでには何年もかかるのです。

苗木不足は今年からはじまったわけではなく、私たちは何年も前から心配して各方面に訴えていましたが、苗木業者の多くは高齢化が進んでいたこともあり、規模の拡大には消極的でした。数年前から準備していれば、そろそろ大きな需要が見込めるようになっていたはずですが、苗木ビジネスに新規に参入しようとする会社も皆無でした。まさか、こんなに「日本ワイン」が評判になって、新しい畑がたくさんできるようになるとは(私たち以外は誰も)思っていなかったのではないでしょうか。

日本で昔からワイン産業にかかわってきた人たちほど、いまの「ブーム」に疑いを抱いているようです。かつて何度も「ワインブーム」といわれる現象があり(それによると現在は「第7次ワインブーム」だそうですが)、そのたびに希望を抱くと、ほどなくブームは萎んでしまい、ワインは元のマイナーな存在に戻る……という経験を何度もしてきたので、苗木が足りないからといって台木をたくさん植えたら、育った頃には注文がぱったりなくなるのではないか、と眉に唾をつけて疑っていたのです。

もう言うまでもないことですが、ワインを飲む人が増え、また「日本ワイン」が注目されているという現象は、決して一過性の「ブーム」ではありません。これは世界の多くの国の実情を見てもらえれば誰にでもわかることで、それまでその国(地域)で飲まれてきた伝統的な酒類からワインへと「転向」した人びとは、二度と元に戻ることはなく、いったんワインを飲みはじめたらずっとワインを飲み続ける……ということも、ほとんどの国(地域)で証明されています。

自分でブドウを育ててワインをつくりたい、と願う人たちも、まずます増えて行くことは間違いありません。先日の新聞記事のように、苗木が不足していることがあまり宣伝されると、もう少し事情が好転するまで待とう、と考える人はいるかもしれませんが、それでも早くから探しはじめた人のほうが早く苗木を手に入れることができるわけですから、決断を延ばす理由は見当たらないといっていいでしょう。

東御市では、約30ヘクタールの荒廃地を再生して新しいヴィンヤードをつくるプロジェクトが動き出しました。苗木不足の状態も、長野県農政部が農協などと協力して台木の増産態勢に入ったので、少なくとも長野県では年を追うごとに改善されていくことと思います。先に挙げた新聞記事は「農業関係者からは〈ワイン用苗木の不足は今後10年くらい続くのではないか〉との声も出ている」という悲観的な(?)文章で終わっていましたが、それは取りも直さず「今後10年間はワインぶどうをつくりたいという人たちが増えていく」という予測を前提にしているわけですから、メディアの認識もずいぶん変わってきたものだと、私は感慨深く受け止めました。