Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2018年01月24日

パウサニアスの壁

ワインを飲んだことがない人に訊くと、多くの人が挙げるのが、「ワインのことは知らないから」、「ワインは難しそうだから」という「飲まない理由」です。ワインを飲むためには特別な勉強をしなければならない、と思い込んでいる人が多いようです。

ワインは「味がわからないから恥ずかしい」という人もいます。ワインを飲んだら、ソムリエのように香りや味を表現しなければならない、と思っているのかもしれません。高級なワインを「まずい」と言ったらいけないし、安いワインを「おいしい」と言ったら馬鹿にされるんじゃないか、など……。

ほかにもいろいろな理由はありますが、「飲まない理由」の最大の要素は、「そのワインがおいしいかどうかを自分で決められない」という思い込みです。

悲劇詩人のアガトンは、「自分においしいと感じられればおいしいワインであり、おいしいと感じられなければそのワインはおいしくない」と言うのに対し、アガトンの年上の恋人であるパウサニアスは、「ワインの味がわかる人がおいしいと感じれば本当においしいけれども、そうでない人がおいしいと感じても本当においしいのではない」と異論を唱えます。

アガトンの説にもパウサニアスの説にもそれぞれ相当の理由があり、単純にどちらが正しいとは言えませんが、日本人にもっとたくさんワインを飲んでもらうためには、「ワインのおいしさはワインの味がわかる人に教えてもらわなければならない」という考えかたを導き出す、「パウサニアスの壁」を破らなければならない、と私は感じています。