Column[ 読みもの ]
日本のワインのこれからを考える 2019
2018年04月01日
日本ソムリエ協会
一般社団法人「日本ソムリエ協会」は、来年、創立50周年を迎えるそうです。それを記念して、これから1年間、隔月刊の広報誌「Sommelier(ソムリエ)」の表紙イラストを、毎回違った人が描く、という企画を立てました。そして光栄なことに、その最初の回の担当に私が選ばれ、3月20日に発売された第161号の表紙は、私が描いたブドウの絵が飾ることになりました。
描いたのは、昨年秋のピノ・ノワールですが、雹害で新梢が折れたあとに出た副梢に実った、やや変形した果房の姿です。ソムリエ誌の表紙イラストのテーマは「ワイン」ですが、ヴィニュロン(ブドウ農家)が思い描く「ワイン」のイメージは、まずなによりも「ブドウ」である、ということで、どうでしょうか。
それにしても、日本ソムリエ協会ができて50年も経つとは、素晴らしい歴史ですね。50年前といえば、私はまだ学生で、パリに留学していた頃です。私がパリで安酒に遭遇してワインを飲む習慣を身につけた頃、日本ではすでにそんな動きが芽生えていたのです。
私がパリから帰ってきたのは今から47年前の1971年。当時の東京にあったフランス料理店といえば、「ビストロ・ムスタッシュ」、「シェ・ジャニー」……「ビストロ・ド・ラ・シテ」ができたのはもう少し後ですかね。フランス帰りの若手が街場に小さなビストロをつくりはじめた頃で、それ以外には、フランス料理が食べられる店はホテルの中にしかないような時代でした。
日本ソムリエ協会創立50周年。日本人の飲むワインの量は昔と較べて多くなったとはいえ、たいして増えたわけではありません。それなのに、ソムリエの数は驚異的に増えました。おそらく、人口ひとり当たりのソムリエ有資格者の数は、世界で日本がいちばんではないでしょうか。
協会の果たした役割は大きく、日本人はソムリエの存在を通してワインを知り、ソムリエの言葉にしたがってワインを学んだ、といっても過言ではありません。しかし、あまりにも大きくなったソムリエの存在が、日本人のワインへの理解を、どこかで歪めてしまったことはないだろうか……。私も協会から「名誉ソムリエ」の称号をいただいている身ですが、これからの時代、そんなことを考える必要もあるかもしれません。