Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2017年02月09日

地酒の定義

きのうの「信州地酒で乾杯の日」がマスコミでどんな扱いをされているか、昨夕のローカルテレビ各局のニュースをザッピングしながら見ましたが、タイミングが合わなかったのか、どの局でも関連のニュースを見ることができませんでした。記念日に合わせて県内ではいろいろなイベントをやったはずなので、どこかが取り上げているのではないかと期待したのですが……今朝の信濃毎日新聞にも、1行も出ていませんでした(きのうの朝刊では3月9日の「佐久の日」が大きく取り上げられていました)。せっかく全国区の記念日をつくって、知事までCMに駆り出したのですから、もう少しメディアへの露出が増えるよう努力しなければいけませんね。

ところで、日本酒で「地酒」というのは、どんな酒を意味するのでしょうか。試みにネットで検索してみると、答えはバラバラ、かつ曖昧で、どれを信じたらよいのかわかりません。こうしたネット上のアンサーを見ると感慨深いものがありますが、そこまで解釈が乱れてしまったのは、やはりこの数十年間の日本酒の飲まれかたの変化が大きく影響しているように思われます。

昔の解釈では、「地酒」というのは「灘伏見の酒」以外の酒を指す言葉でした。白鶴、松竹梅、月桂冠、大関、黄桜、菊正宗……「灘伏見」すなわち、灘(兵庫県)と伏見(京都府)の清酒メーカーは、現在でも日本酒生産量(販売量)の上位をほぼ独占していますが、かつて日本酒がいまより売れていた時代には、全国どこへ行っても料理屋や居酒屋にはそこに酒を納めている特定の酒造会社の看板が掲げられており(当然その多くが「灘伏見」の大手メーカーで)、その店ではその会社の酒しか飲めないのがふつうでした。というより、そもそも飲み屋に入って酒を注文するときに、いちいち銘柄を指定する客はいなかったのです。ただ「酒!」といって注文し、出てきた銘柄の酒を黙って飲むのがあたりまえ。冷(ひや)にするか燗にするかは伝えますが、その頃は(燗をつけることはあってもわざわ冷やすことはなかったので)「冷酒」とか「常温」とかいう言葉を使う客もいませんでした。

それでも、新潟とか広島とか土佐とか信州とか、古くから酒蔵の多い地域にはそれなりの規模の地方メーカーがあり、それらの中には全国に名を知られたものもありますが、実際にはその地方へ足を運ぶか、その地方の郷土料理を売りものにする店にでも行かなければ飲めないのがふつうでした。もちろん、全国にはもっともっと小さい、地元の人でなければ名前も知らないような酒蔵がたくさんあります。「灘伏見」の酒は全国どこでも飲めるけれど、そういう地方の小さなメーカーの酒は地元でしか流通していないので、それがつくられている土地に行かなければ飲むことができない。だからそういう酒を「地酒」と呼んだのです(いまだに少数の大企業が生産を独占しているビールの世界では、大手メーカー以外のビールをすべて「地ビール」と呼ぶように)。

いまでは、どんな店に行っても品書きに複数の日本酒の銘柄とそれらがつくられる府県の名が書き連ねてあるので、「地酒」という概念も変わってきました。逆に言えば、「地酒」」が全国のどこでも飲めるようになってきたのです。それと同時に「地酒」の地位が上がり、昔は「地酒というのは風趣はあるが質的には低いもの」とされていたのが、地方の小さな酒蔵の酒のほうが全国流通の大手メーカーの酒より上等だ、という新しい認識が生まれてきました。この問題は実に複雑な要素を孕んでいて、ここで単純化して論じることはできないのですが、あえて言えば、「大量生産品は品質もよく安定しており値段も安い」という神話が崩れて「つくり手の顔が見える少量生産品こそ個性的で魅力がある」と感じる消費者が多くなった、時代による価値観の変化が背景にあると考えてよいでしょう。

そうなると、こんどは「地酒」に、どこの土地で、誰が、どんなふうにつくったか、という詳細な履歴書が求められるようになります。もともと日本酒は、酒米の産地からコメを取り寄せ、遠方から杜氏のグループを呼んで、プロデューサーの役割を担う蔵元が、酒蔵という場所を提供して酒をつくらせるものでした。だから地方の富裕な有力者が蔵元になり、日本の経済と消費の中心地であった京・大阪を中心に清酒製造業が発達したのです。それが、とくにこの数十年間の変化により、原料であるコメの品種や生産地が問われる風潮が高まるとともに、全国の杜氏集団がほぼ壊滅し、社長や社員が醸造技術者として杜氏の役割を担うようになりました。原料の産地がどこかを問うのは「農産物は土地の個性を表現するものである」と考える農業的な価値観に基づくもので、これはワインによる影響が大きいと思われますが、日本酒の生産現場のスタイルそのものも、ワインのそれに近づいてきた、ということができるでしょう。

長野県には、日本酒にも「原産地呼称管理制度」という、県内で栽培された原料米を使って県内の酒蔵において所定の要件を満たした方法で醸造され、官能審査によって一定のレベルに達していることが認められた製品だけを認定品として推奨する、という制度があります。これはフランスに古くから伝わるワインに関する制度をお手本にしたものですが、長野県の「信州地酒で乾杯の日」で言うところの日本酒の「信州地酒」は、県内の酒蔵で生産された酒であればよく、コメの産地までは問わない(伝統にしたがって他府県産の酒米を使用する酒蔵も少なくないので)のだろうと思います。一般的に考えれば、コメの産地より酒蔵(醸造所)がある場所のほうが重視される日本酒の世界では、醸造所が長野県内ならコメの産地は県外でも「信州地酒」と呼ぶことにためらいはないけれども、長野県産の酒米を使って他府県で醸造した日本酒があったとしてもそれを「信州地酒」と呼ぶことはないでしょう。この点は、ワインではどうでしょうか。

ワインの場合は、どの地域の、どんな畑で、何年に収穫された、どんな品種のブドウが使われているか、ということが問題とされ、そのブドウが収穫された畑の傍らにある醸造場で仕込まれてワインになる、というのが本来の姿なので、その意味では「すべてのワインが地酒である」ということができるわけですが、醸造された場所よりも原料の産地がどこであるかをより重視するため、長野県内で醸造したワインでも原料に県外産のブドウを使ったものは「長野県産ワイン」と認めない、という人もいれば、ブドウが長野県産であれば醸造場は県外(たとえば山梨など)にあっても「長野県産ワイン」に含めて考える、という人もいます。日本では、国内で生産されているワインの大半がいまだに海外から輸入した原料を使っているように、ワインの世界でも醸造所(ワイナリー)と原料産地(ブドウ畑)が別の場所にあることが多く、それがさらに日本酒の歴史的な背景にも影響されて、「地酒(ローカルワイン)」の定義を曖昧にしているのです。

ワインにおける「ローカル」と「グローバル」の問題についてはいずれ稿を改めて述べたいと思いますが、話をもとの「信州地酒で乾杯の日」に戻せば、今回決められたような、日本酒もワインもビールも焼酎も全部いっしょに含む記念日の名前は、どんな名前にすればよかったのか……と考えた結果、私は「DRINK NAGANOの日」という名前を思いつきました。

BUY AMERICAN(アメリカ製品愛用運動)……などと言うのと同じように、DRINK NAGANOと言えば、日本酒も焼酎もワインもシードルもクラフトビールも、ついでにリンゴジュースやトマトジュースその他のノンアルコール飲料もすべてを含めて「長野県でつくられた飲みものを飲みましょう」という呼びかけになりますから、この言葉が全国に広まれば、酒飲みだけでなく日本全国の老若男女が、この記念日には長野県のことを思い浮かべるようになるでしょう。「きょうはDRINK NAGANOの日だね。そういえば冷蔵庫に信州リンゴのジュースがあったよね」「ワインは……そうだ、DRINK NAGANOの日だからNAGANOワインにしよう」……自動販売機でも、この日は長野県産のミネラルウォーターがよく売れるのではないでしょうか。

昨日の「信州地酒で乾杯の日」に県内でおこなわれたイベントは、長野県のホームページで探したところ、長野市内のホテルで開かれた「県産日本酒を楽しむ日本酒night」と、日本酒の海外進出を推進する内閣府のプロジェクトの一環として同じく長野市で開催された「信州から世界へ:海外日本酒マーケティング シンポジウム」というのがありました。このほかに、長野県小売酒販組合連合会(青年協議会)が記念日の制定以前から呼びかけてきた「乾杯フェス」という活動があり( http://kanpai-fes.com/ を参照してください)、賛同する人たちがそれぞれの場で乾杯を楽しんだのだろうと思いますが、こちらのほうはおそらく、日本酒だけでなく、ワインや焼酎やクラフトビールで乾杯する人もいたはずです(だいたいふつうの「飲み会」では、それぞれ好きな種類の酒を勝手に飲むケースが多いものです)。

「地酒」という言葉の連想から、どうしても日本酒のイベントが優先されるのは仕方ないと思いますが、せっかくの「オール酒類OK」の「乾杯記念日」なのですから、少なくとも一般の集まりでは、乾杯もDRINK NAGANO でやったらどうかと思います。県産の日本酒とワインを両方(できればもちろんクラフトビールその他も)用意して、それぞれが好きなものを選んで乾杯すればよいのです。乾杯のあとも、各自好きなものを好きな順番で飲みましょう。この集まりは日本酒だけ、このパーティーはワインだけ、と決めつける必要はないのです。それもできれば、日本酒は徳利とお猪口で出しワインはグラスに注ぐ……という昔ながらの「結婚式の披露宴」スタイルではなく、日本酒もワインも同じようにグラスで飲む、そんなパーティーがいいですね。

日本酒だけの世界、ワインだけの世界、という区分けは、もはや意味をもたなくなりつつあります。ワインが地球上のいたるところでつくられるようになり、日本酒が海外に進出し、クラフトビールが復権する時代には、「地酒」という言葉の示すものも違ってくるのです。