Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2019年04月27日

赤玉ポートワインの残像

長野県の塩尻市は、赤玉ポートワインの原料供給地として長いあいだブドウを栽培してきました。赤玉ポートワインは、最初は輸入ワインを使って調合していましたが、その後は国内で栽培したブドウから原料のワインをつくるようになったのです。赤玉ポートワインの構成要素に占めるワインの割合はわずか7パーセントだそうですが、それでもあれだけ大量に売れたので、原料ワインの供給地は全国にあったようです。

中川さんたちが入植した山形では、ブドウ畑は潰されて、稼働していたワイナリーもワインの生産を止めましたが、塩尻では、かつての生産農家がみずからワイナリーを立ち上げてワイン生産を続けました。赤玉ポートワインの原料ブドウは、棚栽培のナイアガラやコンコードなど、ジュース用にもなるアメリカ系品種ですが、その後はメルローを中心としたヴィニフェラ種の栽培にも挑戦し、今日の「ワイン先進地」としての地位を築きました。

塩尻市は、全市一丸となってワイン振興に取り組み、長野県におけるトップ生産地の地位を確保していますが、一方でアメリカ系品種の棚がいまも多く残っており、後継者がいないという悩みを抱えています。「塩尻ワイン大学」などの取り組みも功を奏して新規参入者も増え、新しい小規模ワイナリーができていますが、新規にやりたい人はヴィニフェラ種の栽培を希望するので、残されたアメリカ系品種の棚をどう更新するかが課題になっています。そう考えると、光と陰の両面で、赤玉ポートワインが日本のワインシーンに与えた影響と残像には、想像以上の大きさがあると言えるでしょう。