Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2019年06月04日

ワインこそ命のみなもと

聖書の編纂がはじまった紀元前5世紀から4世紀ごろ(いまから約2500~2400年前)には、すでにユダヤ人たちが住むシナイ半島でもヴィニフェラ種のブドウが栽培されていました。そして、自分たちが栽培しているブドウは、アララット山麓にある地域から伝わってきたものだ、ということも、おそらく認識していたのだと思います。だからこそ物語作者(口碑の編纂者)は、「ノアの方舟」をアララット山麓に漂着させたのでしょう。

生きとし生けるもののすべてを積み込んだ「ノアの方舟」が漂着する地点(すなわちそこから地球上のすべての生物が再生する地点)にブドウの原産地であるアララット山麓を選んだということは、全生物のうちでワインをつくるためのブドウがもっとも重要なものだ、と、高らかに宣言しているのと同じです。

ワインが「キリストの血」と言われることはよく知られていますが、原始ユダヤ教の時代から、「ワインこそ命のみなもと」という世界観が、早くも確立されていたことがわかります。