Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2019年06月14日

ヴィティス・ラブルスカ

北米大陸に移民したフランス人やスペイン人は、アメリカのヤマブドウでは彼らの口に合うワインができないので、本国からヴィニフェラ種の苗木を持ち込んで栽培しようとしました。が、17世紀から18世紀にかけて盛んにおこなわれたこの試みは、ことごとく失敗に帰しました。

ヴィニフェラ種植栽の試みは、北はカナダ国境に近いマサチューセッツ州から南はフロリダ半島に至る東海岸の全域でおこなわれましたが、北部では冬の低温が、南部では夏の高温と多湿が障害となって、結局成功しませんでした。そのため18世紀後半以降は、アメリカのヤマブドウにヴィニフェラ種をかけあわせて交配種をつくる方向に転換し、そこから現在のアメリカブドウの代名詞ともなっている「ヴィティス・ラブルスカVITIS LABURSCA」が生まれました。

19世紀以降、ヴィティス・ラブルスカにさらに野生種やヴィニフェラ種をかけあわせた品種が多数育成され、同じく「夏の高温と多湿」のためフランスから輸入したブドウをうまく育てられなかった明治初期の日本は、それらのラブルスカ系品種の多くを輸入することになりました。ラブルスカ系品種の多くを輸入することになりました。