Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2019年07月31日

宣教師たち

ヨーロッパが「新大陸を発見」して世界に活動を拡大したとき、僻地にまで乗り込んでワインをつくろうとしたのは、キリスト教の宣教師たちです。彼らは世界中のあらゆる場所に行きましたが、どんな土地に住んだとしても、「キリストの血」であるワインが儀式のためにも布教のためにも必要でした。

フランス人やスペイン人の宣教師たちは、もちろんヴィニフェラ種でワインをつくりたかったはずです。だから、まさしくノアの方舟のように、本国から持ち込んだヴィニフェラ種の苗木を未踏の地に植えたのですが、わずかでも生育すればまだしも、気候に合わず全滅してしまったとしたら……

そのとき、もしその土地に野生のブドウがあれば、きっとそれでワインをつくったことでしょう。が、もしそのワインが、自分たちに馴染みのない、キツイ臭いを放っていたとしたらどうでしょう。宣教師ですから、宗教的な使命感から、目を瞑ってでも飲んだでしょうか。それとも、止むを得ず儀式にだけはそれを使って、自分たちは飲まずに我慢したでしょうか。あるいは、最初は嫌だったけれども、飲んでいるうちに慣れてきて、臭いが平気になっていったでしょうか。

そのあたりは、ぜひとも知りたいところです。当時の事情を伝える文献や資料があったら、ぜひ教えてください。