Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2019年08月09日

川上善兵衛

日本ワインの品種を増やしている原因は、アメリカ系品種とヴィニフェラ種、あるいはヤマブドウ品種との交配が、数多くおこなわれてきたことも関係しています。ヴィニフェラ種単独では雨や病気に弱いので、それらに強い品種とかけ合わせて弱点を補おうという試みですが、日本においてその道を切り拓いたのは
越後の川上善兵衛でした。

川上善兵衛(1868~1944)は、大地主の子に生まれ、漢学を学び慶応義塾に入塾するも勝海舟の勧めで地元に帰り、ブドウ栽培とワイン醸造に取り組みます。
コメは日本人の大切な主食だから、コメを酒づくりに利用してはいけない。酒はブドウでつくり、コメは主食にまわすべし。そう考えた善兵衛は、平らな田んぼが見渡す限り続く新潟の穀倉地帯で、田の果てに続く小高い里山にブドウを植え、みずからワイナリー経営に乗り出します。その場所が、現在の「岩の原ワイナリー」。田んぼに囲まれた道を走って里山に近づいて行くと、善兵衛の考えるコメとブドウの役割分担の思想が、具体的なかたちで見えてきます。