Column[ 読みもの ]

日本のワインのこれからを考える 2019

2019年12月27日

ワインに権威は必要か

ワインは取っ付きにくく、知識がないと飲めない、と思っている人が、まだまだたくさんいるようです。だから、ワインの評価も、どうしても権威に頼るようになる。コンクールの審判のような人がワインに点数をつけてくれれば、なるほどそれが正しい評価なのだ、と納得するわけです。どこそこのコンクールで金賞を取った、という情報も、同じような意味で権威づけの役割を担っています。

ワインには、おそらくほかのどんな酒よりも、たくさんの情報や薀蓄がついてまわります。ブドウのこと、産地のこと、味わいを表現する方法……知りはじめれば切りがなく、どこまで追求しても極められないほどの、深い奥行きがある。もちろん、それがワインの魅力にもなっているのですが、深い奥行きがあるからといって、入口が狭いわけではありません。

ワインについてなにも知らなくても、当然、ワインを飲むことはできます。ワインを飲むことを知った人の中には、興味を持ってワインの勉強をはじめる人がいますが、一方で、ただひたすらワインを飲むことを愛し、ワインを飲む時間を楽しみながら、ワインを「勉強」することには関心のない人もいます。おそらくフランス人やイタリア人の大多数はそういう人たちだろうと思いますが、実は私もそのひとりです。

ワインは、入口が広くて、奥行きが深いお酒です。その広い入口のあたりをのんびり揺蕩(たゆた)うのも、ワインの大いなる楽しみだと思います。

(註)ブログはお休みを2週間いただいて、1月14日から再開します。みなさま、よいお正月を!